ランダウ=リフシッツ『理論物理学教程』——Hall 2005

Karl Hall, “ ‘Think Less about Foundations’: A Short Course on Landau and Lifshitz’s Course of Theoretical Physics,” in Pedagogy and the Practice of Science: Historical and Contemporary Perspectives, ed. D. Kaiser (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005), 253–286.

科学史における教育の諸相を扱う論集の一論考.1938年に『統計物理学』が出版されて以来,世界中でもっとも著名な教科書となったランダウ=リフシッツ『理論物理学教程』の特徴を論ずる.ランダウの基本方針は「基礎的なことがらをあまり気にかけるな.第一に習得する必要があるのはテクニックであり,細部の理解はあとからついてくる」というものだった.当時主流の他の教科書とは異なり,このようにすることによって問題解決のセンスが磨かれると考えたのである.

文学における社会主義リアリズムは,特定のジャンルに拘泥されない作品群を生み出した.実は,『理論物理学教程』においても,既存の分野それぞれに固有の方法にとらわれないという特徴がある.例えば『力学』は,最小作用の原理を出発点にして論理的・演繹的なスタイルで書かれており,そこでは歴史的な事情はほとんど考慮されない.論理的・演繹的なスタイルを押し通すことで,異分野のあいだの関連の見通しをつけやすくするというのが,ランダウ流の教育的配慮であった(もちろんこのような構成はランダウ=リフシッツがはじめてではなく,例えばフレンケリの『電気力学教科書』(1928;ドイツ語)のような先例があったが).

『統計物理学』は,ランダウの凝縮系物理学への貢献もあり,もっとも影響力のあった巻である.英語版では,ギブスの仕事を使って熱力学と統計力学を統一的に提示するが,仮定は明示するものの,数学的厳密さは追求しないと書かれている.この点はロシア語版ではより先鋭的で,そもそも統計物理学は数学的にはあまり厳密ではないと断じている.ギブスの方法は,内部では論理的に調和しており,教育的な出発点として採用される.『統計物理学』のある評者は,ギブスの理論をさほど厳密さにこだわることなく現代化したものだと評した.

当時,ソ連には理論物理学のためのポストはほとんど存在せず,『教程』の構想を練りはじめたときのランダウは重工業人民委員会の職にあった.『教程』は理論物理学が独立した地位を獲得するために貢献した.ランダウ=リフシッツの教科書には,社会主義国家のさまざまな要素が反映されている.それが結果的に国際的に普及したという意味では,われわれはすべてソヴィエト人民である.

Written on September 2, 2018.
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19世紀の化学教科書——García-Belmar et al. 2005

Antonio García-Belmar, José Ramón Bertomeu-Sánchez, and Bernadette Bensaude-Vincent, “The power of Didactic Writings: French Chemistry Textbooks of the Nineteenth Century,” in Pedagogy and the Practice of Science: Historical and Contemporary Perspectives, ed. D. Kaiser (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005), 219–251.

科学史における教育の諸相を扱う論集の一論考.かつてHannawayは The Chemists and the Word: The Didactic Origins of Chemistry (Johns Hopkins University Press, 1975)の中で,錬金術から化学への変化にあっては,明示的な体系的知識の提示が重要だったこと,教科書によって新たな知識探究が可能になったことを指摘した.García-Belmarら著者たちは,1789年から1860年のあいだにフランスで出版された500冊ほどの教科書に関する研究結果を示す.

コント,バシュラール,そしてクーンらの教科書観は,科学にとって教科書が必要であること,しかしそれは実際の科学の姿を反映するものではなく,知識の集積と伝達を目指すものであること,について一致している.しかしながら,「教科書的な事柄」と「実際の科学」のあいだにそれほど綺麗な線引きはできず,むしろその二分法自体を検討しなおすことができるだろうし,またモノとしての教科書には,知識の内容だけでなく,読者(学生・生徒)や出版社,あるいは教育制度が関与する.

教科書とは何だろうか.教科書の定義には,使用法によるもの(これはその本の実際の使われ方に焦点を当てることになる)と,目的によるもの(教科書という概念の歴史を検討することになる)がある.ここでは後者を採用する.制度的な変化はかなりの影響をもたらし,当該分野の内容と実践が新しい読者,教育空間の変化,教育実践に適応させられた.たとえばフランス革命による化学の教育制度(中等・高等教育)の変革,それに伴う学生数の増加,学生の質の変化と不均一化,シラバス等による教師の裁量の縮小など.化学の教科書というものが確立するプロセスには,

  • 学生・生徒——時代ごとにかなり性質が変わるため,教科書が想定した読者層には注意する必要がある.たとえば18世紀のフランスにおいては,化学を学んでいたのは主として薬学・医学の学生であった.また,革命政府によっていったん中等教育から化学が削除されたのちに復活するという事情もある.
  • 著者——1808年まではさまざまな学問的背景を持つ著者が革命期に創設された教育機関のために書いたが,その後1820年代までは私設の進学準備校で教えていた医学博士が主たる著者となり,1840年代までは中等教育における化学科目が復活したために医学の影響が弱まった.また,教科書の著者はおおむね若かったことに注意が必要である.
  • 出版社およびフランス政府——政府は中央集権的に化学の教授要目を決定し,教科書のリストを作成した.教師はそのリストの中から教科書を選ばなければならなかった.出版社は教科書の内容をコントロールする責務を負ったが,その市場の大きさゆえに教科書はひとつのジャンルとして成立するに至った.コスト削減の要請や印刷技術の向上は教科書のスタイルにも影響を与えた. という四つの要因が絡んでいた.

ところで,教科書を書くことは創造的行為であったことは強調しなければならない.題材の選択と組織化,実際の内容の叙述は機械的な作業ではない.また,教科書はクーンの言うところの,単なる通常科学の担い手でもない.たとえば化学物質の分類法や,原子・分子概念の取り扱いなど,19世紀フランスの化学教科書にはさまざまな試みが見られるが,それは決して確立したアイディアを載せるだけのものではなく,むしろ著者の創造性の発露であった.

Written on August 27, 2018.
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ファインマン・ダイアグラムと教育——Kaiser 2005

D. Kaiser, “Making Tools Travel: Pedagogy and the Transfer of Skills in Postwar Theoretical Physics,” in Pedagogy and the Practice of Science: Historical and Contemporary Perspectives, ed. D. Kaiser (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005), 41–74.

科学史における教育の諸相を扱う論集の一論考.1940年代後半に登場したファインマン・ダイアグラムは,さまざまな改変を受けながら,物理学者が世界を見る方法を変えた.それは実践的な計算テクニックではあるが,そのようなテクニックこそが研究者の毎日の仕事における実践をよく表している.ファインマン・ダイアグラムはどうして急速に普及したのか?1940年代後半から1960年代にかけて何のためにそれは使われたのか?どうしてそれは広い応用範囲にわたって頑固に使われ続けたのだろうか?

ファインマン・ダイアグラムの場合は,ツールとユーザー双方の形成を追跡する必要がある.というのも,ファインマン・ダイアグラムは単なる紙の上に書かれた表現ではなく,解釈なしには何もできない表現であり,その習熟には訓練が必要だからだ.その歴史は三つの教訓を教えてくれる.ファインマン・ダイアグラムは,ダイソンによってhow-to形式の計算ルールを整えられたが,そのユーザーは,たいていは大学院あるいはプリンストン高等研究所でのポスドク時代の知り合い関係のネットワークにおり,そこからアメリカ各地に散っていった.顔をつきあわせての個人的な接触が重要な要素であったこと,ここにある種の教育という過程がはたらいていたことは間違いない.他方で,実際の物理学者の用法をみると,この単純なカスケードモデルは地域性によって補強する必要がでてくる.というのも,コーネル,コロンビア,ロチェスター,バークリーなど,それぞれの地域で物理学者たちは同じファインマン・ダイアグラムを異なる目的のために使用し,その過程ではダイアグラム自体にかなりの改変が加えられたからだ.ダイアグラムどうしの類似性には,教える側と教えられる側の関係が見て取れる.最後に,ファインマン・ダイアグラムが使用され続けたのは,ひとつには既知の他の視覚的な方法(ミンコフスキー時空の図など)との類似性のためであると考えられる.時空を表す図式的な方法は,すでに物理学者にとってはなじみのものとなっていた.

Written on August 22, 2018.
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科学史における教科書の重要性——Kaiser 2005

D. Kaiser, “Moving Pedagogy from the Periphery to the Center,” in Pedagogy and the Practice of Science: Historical and Contemporary Perspectives, ed. D. Kaiser (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005), 1–8.

科学史における教育の諸相を扱う論集の導入部.科学者は生まれながらのものではなく,作られるものである.科学者が作られる過程には,時代や地域ごとの特徴が刻まれている.科学の発展を問うとき教育という問題はこれまで周縁に追いやられていた.この論集ではそれを論ずるという.

科学論・科学史では,実際には,クーンが学生が科学者になるために必要な教育を重要視していた(もともと「パラダイム」は当該分野の研究に習熟するための典型的な問題を論ずるために導入された概念)し,ポラーニも「暗黙知」や修行の重要性を強調していた.しかし彼らは,この線に沿った具体的な歴史研究は残さず,また最近の科学論は実践を重んじたにもかかわらず教育を見落としていた.だが,先端的な科学者のケーススタディからは,新しい技術やスキルへの習熟が難しいという悩みが見える.教育・訓練という問題が存在すること,その実践が問われるべきであることは明らかだ.

他方で,科学者共同体における規範や価値をめぐる研究のトレンドも見逃せない.ここにも教育という問題が絡んでいるのだ.若き科学者は科学者になるために訓練されなければならないが,そこでは科学者になるとはどういうことかという問いが関わっている.このような規範が出現するプロセスのうちのひとつが教育・訓練である.新世代の教育には,つねに規範,価値,ペルソナが隠れている.

教育が重要というのは自明の理であるから,そのままでは歴史的な説明力を持たせられない.さらに,「教育決定論」も避けなくてはならない.この本では特定の訓練と科学の実践との関係を探る.特定の研究スタイルが関連づけられるような教育機関・教育の仕組みは存在するだろうか.本当に教育の形式が科学の内容に影響を与えるだろうか.このような問いからすれば,教育とは教室の中だけでなく,より広く,科学者になるために若者が受ける訓練全般を指すようになる.この論集では,大まかに言えば,どのようにスキルや実践が科学者に伝達されるかという問題と,どのように役割や規範や価値が新しい世代に植え付けられるかという問題が扱われる.

Written on July 5, 2018.
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教科書たちの隠れた生命——Vicedo 2012

Marga Vicedo, “Introduction: The Secret Lives of Textbooks,” Isis 103 (2012): 83–87.

科学史における教科書の役割を再検討する特集のイントロダクション.科学の発展に関する「標準的な見解」(誰もこれを単純な形では受け入れてはいないだろうが)によれば,教科書は科学研究の結果生み出された知識の受け皿ではあり,共有された知識を学生に「吹き込む」(クーン)ものではあるが,さらなる創造の源とはならない.このような「トリクル・ダウン」モデルは最近になって厳しく批判されている.教科書は真剣な科学史研究の対象になるのだ.箇条書きすれば,(1) 教育的実践における役割,(2) 科学における新しい分野の形成への寄与,(3) さまざまなアイディアの発展,(4) 当該分野の認識論的関心,(5) 先取権争いにおける使用法,(6) 科学の社会的文脈の影響などの論点が歴史的資料としての教科書には見出せる.

この特集では,Gordinが周縁的なロシア語から中心的なドイツ語への化学教科書の翻訳を検討することを通じて,国際的な認知のために教科書が重要だったこと,普通の意味での中心と周縁というモデルは維持できないことを示す.Shapiroはアメリカにおける教育機関がいかにして教科書執筆をコントロールし,若手科学者に影響を与えたかを論ずる.Vicedoは,1950年代から70年代の心理学の教科書を検討することで,本当に教科書は科学の発展に寄与しないのかを問う.Kaiserは,1970年代の2冊の物理学の教科書を通じて,専門家向け・一般向けというような読者層の切り分けがうまくできない事例を扱う.

教科書を研究することで,科学史研究に貢献しうる.たとえば,認識論の歴史に対しては,教科書における結果の提示法,研究方法など,ギャリソンのいう「議論と証明のツールキット」という観点から寄与しうる.また,科学の大衆化の問題に対しては,教科書の読者は専門課程の学生だけではなく,専門家向けと一般向けとでは異なる影響を与えることを考慮することが役に立つ.

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Written on July 4, 2018.
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