■19世紀の化学教科書——García-Belmar et al. 2005
Antonio García-Belmar, José Ramón Bertomeu-Sánchez, and Bernadette Bensaude-Vincent, “The power of Didactic Writings: French Chemistry Textbooks of the Nineteenth Century,” in Pedagogy and the Practice of Science: Historical and Contemporary Perspectives, ed. D. Kaiser (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005), 219–251.
科学史における教育の諸相を扱う論集の一論考.かつてHannawayは The Chemists and the Word: The Didactic Origins of Chemistry (Johns Hopkins University Press, 1975)の中で,錬金術から化学への変化にあっては,明示的な体系的知識の提示が重要だったこと,教科書によって新たな知識探究が可能になったことを指摘した.García-Belmarら著者たちは,1789年から1860年のあいだにフランスで出版された500冊ほどの教科書に関する研究結果を示す.
コント,バシュラール,そしてクーンらの教科書観は,科学にとって教科書が必要であること,しかしそれは実際の科学の姿を反映するものではなく,知識の集積と伝達を目指すものであること,について一致している.しかしながら,「教科書的な事柄」と「実際の科学」のあいだにそれほど綺麗な線引きはできず,むしろその二分法自体を検討しなおすことができるだろうし,またモノとしての教科書には,知識の内容だけでなく,読者(学生・生徒)や出版社,あるいは教育制度が関与する.
教科書とは何だろうか.教科書の定義には,使用法によるもの(これはその本の実際の使われ方に焦点を当てることになる)と,目的によるもの(教科書という概念の歴史を検討することになる)がある.ここでは後者を採用する.制度的な変化はかなりの影響をもたらし,当該分野の内容と実践が新しい読者,教育空間の変化,教育実践に適応させられた.たとえばフランス革命による化学の教育制度(中等・高等教育)の変革,それに伴う学生数の増加,学生の質の変化と不均一化,シラバス等による教師の裁量の縮小など.化学の教科書というものが確立するプロセスには,
- 学生・生徒——時代ごとにかなり性質が変わるため,教科書が想定した読者層には注意する必要がある.たとえば18世紀のフランスにおいては,化学を学んでいたのは主として薬学・医学の学生であった.また,革命政府によっていったん中等教育から化学が削除されたのちに復活するという事情もある.
- 著者——1808年まではさまざまな学問的背景を持つ著者が革命期に創設された教育機関のために書いたが,その後1820年代までは私設の進学準備校で教えていた医学博士が主たる著者となり,1840年代までは中等教育における化学科目が復活したために医学の影響が弱まった.また,教科書の著者はおおむね若かったことに注意が必要である.
- 出版社およびフランス政府——政府は中央集権的に化学の教授要目を決定し,教科書のリストを作成した.教師はそのリストの中から教科書を選ばなければならなかった.出版社は教科書の内容をコントロールする責務を負ったが,その市場の大きさゆえに教科書はひとつのジャンルとして成立するに至った.コスト削減の要請や印刷技術の向上は教科書のスタイルにも影響を与えた. という四つの要因が絡んでいた.
ところで,教科書を書くことは創造的行為であったことは強調しなければならない.題材の選択と組織化,実際の内容の叙述は機械的な作業ではない.また,教科書はクーンの言うところの,単なる通常科学の担い手でもない.たとえば化学物質の分類法や,原子・分子概念の取り扱いなど,19世紀フランスの化学教科書にはさまざまな試みが見られるが,それは決して確立したアイディアを載せるだけのものではなく,むしろ著者の創造性の発露であった.