欧州周縁における教科書——Bertomeu-Sánchez et al. 2006

José Ramón Bertomeu-Sánchez, Antonio García-Belmar, Anders Lundgren, and Manolis Patiniotis, “Introduction: Scientific and Technological Textbooks in the European Periphery,” Science & Education, 15 (2006): 657–665.

Science and Technology in the European Periphery というプロジェクトの成果として編まれた特集号への導入.欧州の「周縁」における科学教科書の歴史を扱う.教科書の書名や教科書という単語がまず問題となる.英語では18世紀半ばから,textbook,elements,courseといった単語が使われたが,ロシア語(uchebnik;教育のための本)やドイツ語(Lehrbuch;教育のための本),またフランス語(manuel;手に収まるほどの簡潔 concise な本——理論的な知識と日常的な実践との橋渡し)をはじめとしたさまざまな言語における教科書という単語を調べるだけでも興味深い.

科学教科書は,科学理論,科学教育,そして出版という三つの領域が交差するところにある.だから教科書は,歴史的には,科学史,教育史,出版史・読書史といった複数の観点から研究することができるし,こうすることで科学史の歴史記述に新たな光を当てることができる.知識の伝達という観点で言えば,たしかに各国間を科学者は旅したが,それはたいていの場合教育的制度・機関により支援されていたことを想起するべきであろう.

他にこの特集号で扱われる主要な論点として,

  • 科学理論が中心部から周縁へと導入されるときの,周縁部固有のローカルな事情を考慮すること(そしてこれにより中心と周縁の関係を問い直すこと)
  • クーンの科学革命論を教科書の変遷を見ることで再検討すること(この特集ではイタリア半島やイベリア半島での化学革命が例に取られる)
  • 学派の形成における教科書の役割を調べること(むろん学派の形成には,カリスマ的な教師の存在など,教科書だけでは説明しきれない要素があるが)
  • 化学の教科書における具体的な技術に関する記述の多さ
  • 教科書というジャンルは他の百科事典などとはどう違うのかという問題
  • 翻訳にともなうさまざまな変更

などがある.こうした検討を通じて,われわれが抱いていた教科書というものに関する素朴なイメージは再考を迫られることになる.

Written on December 21, 2018.
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化学史における教科書——Brooke 2000

John Hedley Brooke, “Introduction: The Study of Chemical Textbooks,” in Communicating Chemistry: Textbooks and Their Audiences, 1789–1939, ed. A. Lundgren and B. Bensaude-Vincent (Canton, Mass.: Science History Publications, 2000), 1-18.

化学史における教科書の役割に関するワークショップの成果物への導入.教科書に対する関心が高まりつつあるが,まず問題となったのは,教科書とはそもそも何であるかという定義の仕方である.啓蒙書や専門書(treatise)との区別や,そもそも当該の分野が確立する前に書かれた本はどう扱うかという問題がある.そもそも今日的な意味での教科書という媒体が成立するのが19世紀の中葉である.さらに,各国ごとの特徴も見受けられる.このワークショップから得られた教訓のひとつは,どのように教科書を定義しようとも,そこからはみ出たり,あるいはいくつかの要素が混同したりするような本が必ず出てくる,ということだ.

クーンによれば教科書は通常科学の産物であり,すでに確立した知識の集積である.しかし,少し詳しく調べてみれば,既存の知識を再編成してまとまった形にすることは,それ自体複雑で困難なことである.だから,教科書に書かれている知識がその時代の通常科学をそのまま反映しているとは必ずしも言えず,その点に関しては慎重な考察が求められる.標準的と目される理論についても,また認識論的な立場についても同様である.

教科書と政治的・政治的要因との関係はきわめて興味深い.たとえば新しい教育制度や試験制度に応じてさまざまな教科書が出版された.化学に関して言えば,医学教育との関係は見過ごせないものがある.また,社会主義諸国における化学の教科書には,一見何の政治的な影響もないように見えるが,教科書の出版点数が増大したことの背景にはやはりソヴィエト的な教育モデルがあった.

専門分化が進行するのに応じて教科書も分化していった.また,多くの版を重ねた教科書の異同を追跡することで,その著者がどのような理論的・技術的変化を重要だとみなしたのかが分かる.教科書の中には他の言語に翻訳されるものもあったが,それらは単なる言葉の置き換えでなく,訳者の側の事情によりさまざまな変更が施された.教科書を出版するに際しての出版社の意向も無視できない.教育制度の改変にともなって読者層は拡大したが,それは出版社にとっては商機に他ならなかった.

古くは,教科書の中に,その分野の歴史記述が含まれており,歴史的な順序に沿って内容を説明されていくことが行われていた.しかし,時代が下ると,歴史的というよりも論理的な順序に沿って内容が説明されていくようになる.また,国ごとに好まれる理論が異なったため,教科書の構成にも国ごとの特徴が見られる.

Written on December 14, 2018.
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教科書——Simon 2014

Josep Simon, “Textbook Physics,” in The Oxford Handbook of the History of Physics, ed. J. Buchwald et al. (Oxford: University Press, 2014), Ch. 21.

フランス,ドイツ,アメリカ,イギリスにおける教科書物理(textbook physics)に焦点を当てる.教科書はしばしば大学におけるエリート教育と関連づけられてきたが,それでは教育史の理解を深めるためには役に立たない.また教育史では科学の教科書や高等教育に目が向けられてこなかった.トマス・クーンの『科学革命の構造』(1962)は教科書に着目してはいるものの,クーンの態度は教科書を低く見る時代の影響を受けていると言わざるを得ない.われわれの教科書に対する見方は,研究と教育のあいだの,そして大学とその他学校のあいだのヒエラルキーを構成してきた出来事により形づくられている.このことに対する反省を行う.教科書は物理学史の研究を進める上で大きな力を秘めている.

最初に,科学史という分野が専門化する過程で,物理学の教科書が果たしてきた役割を見る.科学史が専門分野として確立するにあたって,パイオニアたちは物理学の教科書を参考にしてきた.Isis の初期の号には物理学の教科書の書評がよく見られる.他方でクーンの『構造』は,1950年代にアメリカでさかんだった,PSSCなどの教育改革を叫ぶ声のもとで執筆されたという事情をよく踏まえる必要がある.改革を叫んだ者たちは,それまで使われていた古い教科書を批判し,新しい教科書と新しい教育法を主張した.古い教科書の代表例は,ガノーの『実験・応用物理学入門』(1851)およびその英訳であった.そしてクーンは『構造』で,教科書にあるような知識の体系は,その生成プロセスを隠してしまっている,と批判したのだった.

19世紀の各国における教科書の誕生について概観しておく.1851年,英国のラヴァリングは,教科書が教育において中心的であるとの認識から,英語圏における物理学の良質な教科書の不足を嘆き,またそれが満たすべき条件包括性——正確さ,分かりやすい文体,明瞭な活字,また「発見の歴史」や使用された器具などの記述も含みつつ,自然の統一性と物理諸科学の連関を示す——をいくつか挙げている.一方で,フランスやドイツでは,中等教育の教育改革により,すでに良質な教科書が多く出版されていた.フランスでは,しばしばノルマリアンがそのキャリアの初期に教科書を書いたが,よく使用されたのはビオやプイエの教科書であり,これらは実験を主としていた.フランスで書かれた教科書はドイツにも大きな影響を与え,独訳されるとともに,ドイツ語での新たな教科書が生まれる契機ともなった.ドイツの大学における物理のゼミナール教育を象徴するのはコールラウシュの教科書である.19世紀後半のフランスの中等教育および大学教育の教科書としてはガノーの本を挙げねばならない.トンプソンによれば,ラヴァリングの嘆きから30年経過しても,英語圏における教科書の状況はさほど変化しなかったというが,これはやや不正確であり,スチュワートのエネルギー原理に基づいた教科書などは成功を収めたと言ってよい.

教科書物理は,19世紀の教育改革という文脈の中で登場し,物理学の聴衆を拡大した.教科書は教育用ツールでもあり,また知識を伝えるための手段でもあった.教科書を書くというのは単純なことではなく,物理学者ならば誰でも可能というわけではなかった.それには特有の訓練が必要だった.また,19世紀の教科書は,主として実験器具や機械に重点を置く傾向がある.

PSSCによるプロジェクトは,専門書(treatise)と教科書(textbook)の分離をもたらし,後者は限定された範囲のテーマを集中的に扱うものとなった.歴史や技術も落とされた.民主主義など西側の理想をも掲げたPSSCだったが,教師の側が慣れなかったことや,他の教科書との競合もあり,結局は成功しなかった.

最後に,最近の物理学史において教科書を扱っている論考には,Warwickのケンブリッジ数理物理学の伝統に関する研究や, Kaiserのファインマン・ダイアグラムに関する研究,Simonのガノーの教科書に関する研究,NavarroとBadinoの編集による量子論史の論集の検討などがある.いずれにしても,科学教育,教育史,そして出版史の観点を積極的に取り入れた分析が望まれる.

Written on December 11, 2018.
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教科書——Simon 2016

Josep Simon, “Textbooks,” in A Companion to the History of Science, ed. B. Lightman (Wiley-Blackwell, 2016), Ch. 28.

科学史研究において,教科書それ自体の探究をより深化させるべきである.というのも,教科書には,著者の考えのみならず,教育という文脈や国家や出版といった要素が含まれており,教科書研究をすることによって科学史・教育史・出版史の接点に光を当てられるからだ.近年,科学史における大衆化の研究では啓蒙書や雑誌に焦点が当てられてきたが,教科書にも同様の措置がなされるべきである.

クーン,バシュラール,そしてサートンは早くも教育あるいは教科書に着目し,教科書に見られる知識の体系と研究現場における知識創造のプロセスの違い,教科書が18世紀以降の科学に特徴的な知識の形態であること,教科書は本質的に保守的で変化しにくいこと,もっとも売れた教科書がもっとも代表的な教科書であるわけではないことなどを指摘している.最後の点に関しては,ある教科書を「古典的」であるとか「正典的」であるとか言わしめるのは,その内的な価値なのか,それとも歴史的かつ偶然的な事情なのか,あるいは著者やエリート科学者たちの地位なのか,多くの読者や彼らによる読書なのかといった問題が存在するだろう.

教科書とはそもそも何かという定義の問題もある.教室で取られたノートは,教科書だけからは分からない教育の実践を示す.教育課程との関係(これからすれば,教科書というジャンルが問題になるのは18世紀以降だとする論者も多い.しかし,あまりそれに囚われすぎるのも問題だろう)を無視することはできない.ここで問題となるのは,教育・学習における使用とその権威性である.「論考 treatise」と名付けられた本には,通常は十分な科学的権威を持ったものにつけられ,教科書として扱われることもあるが,一応区別しないといけない.というのは「論考」の方にはオリジナルな成果が盛り込まれるが,教科書は教育専門の人も書くからである.研究と教育はつねに関係するものだが,研究から刺激を受けてある主題を提示する際には,入門的,包括的,標準的,革新的という程度がありうる.

教科書の研究は学際的でありうるが,これまでの科学史研究では化学や物理学の内部だけで行われてきたようだ.化学史の例で特に顕著なのは2000年に出版された Communicating Chemistry である.物理学史でも多くの研究が積み重ねらているが,初期の研究では概念的な問題に焦点が当てられており,教科書という媒体それ自体への興味は見られない.Warwick や Kaiser の研究にもなお観念史的な影響は色濃いが,科学教育に関する発展を採り入れてもいる.教科書研究としてよりバランスが取れているのは,フランスの教師ガノーが出版した物理学の教科書に関する諸研究である.生物学史では,教科書は通常科学の知識の集積所として扱われてきたが,特に進化論の場合などで,宗教や政府とのあいだで教科書が政治的な役割を持つことにもっと注意が向けられるべきだろう.教科書研究にあっては,国家の中での教育制度などの形式的な側面も重要であるが,英国は事情が複雑であり,例外的に扱われるべきだろう.教育史では初等・中等教育に焦点を当て,科学史では高等教育に焦点を当てるといった関心の違いも見られる.

将来的には,科学史・教育史・出版史の接点を掘り起こし,多様な分野に寄与することが必要だろう.科学史における潮流が,科学の形成とそのコミュニケーションの境界を切り崩すことにあるのなら,教育にもっと目を向けるべきである.教科書にはその分野の核心をなす体系が記されており,出版にかかわる事情は知識生産に直接的な影響をもたらしうる.地域的な事情や政治的な事情も,教科書の形式や内容にかかわる.翻訳による国際的な影響も持ちうるが,これは科学史においてグローバル化研究が進んでいることと親和的である.

Written on September 26, 2018.
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原子価結合法・分子軌道法・教育——Park 2005

Buhm Soon Park, “In the ‘Context of Pedagogy’: Teaching Strategy and Theory Change in Quantum Chemistry,” in Pedagogy and the Practice of Science: Historical and Contemporary Perspectives, ed. D. Kaiser (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005), 287–319.

科学史における教育の諸相を扱う論集の一論考.量子化学において,分子軌道法が原子価結合法にとってかわったプロセスを題材に,教育の役割を論じる.中心人物はクールソンとデュワーである.とくにクールソンは,原子価結合法の混成などの概念を分子軌道法の言葉遣いへと翻訳し,分子軌道を視覚化するなど,有機化学者とのコミュニケーションと教育戦略で成功をおさめた.この教育的プロセスには,知識伝達の創造的側面がみられる.

レナード・ジョーンズから影響を受けたクールソンは,もともとポーリングが原子価結合法に導入した混成の概念を分子軌道法に接合し,また共鳴の概念をも取り込んでベンゼンの考察をきわめて視覚的に仕方(ドーナツ・モデル)で行った.これは有機化学者にも理解できた手法だった.注意すべきは,クールソンは原子価結合法が間違っていると考えたわけではないということである.彼は『原子価』(1952)の中でたしかに分子軌道法の視覚的な特性を強調したが,表向きは二つの方法を丁寧に論じて比較していた.そして,それゆえに化学者が分子軌道法を採用するようになったのである.ただし,ポーリングは,『原子価』は教育上の混乱を招くのではないかという理由から批判的であり,また混成,共鳴,最大結合強度などのアイディアをめぐってクールソンと対立した.

他方で有機化学出身のデュワーは,戦時研究でトロポロンの構造を決定する際に原子価結合法と分子軌道法に触れた.原子価結合法と共鳴概念については,混乱を招き,不便であるとして,積極的に批判した.しかし,分子軌道法のほうが簡便であるという彼の『有機化学の電子論』(1949)の議論は,ほかの化学者にとって十分に説得的であるとは言えず,教育面においても悪影響だと批判された.しかし,デュワーの教科書とクールソンの概説論文が有機化学者に影響を与えたのは間違いない.

1970年代までには,分子軌道法は化学教育において必ず扱われる事項になった.この状況はポーリングにとっては,教育的観点から好ましくないことだった.原子価結合法のほうがはるかに単純で,分子軌道法は学生を混乱させる,「成人指定」されるべきものだというのである.このような発言は,量子化学の研究者にとって,教育的含意が無視できなかったことを示している.クールソンは二つの理論がたがいに翻訳可能だと述べたのに対し,デュワーは論争的に分子軌道法の簡便さを強調したが,いずれにせよその教育的戦略が量子化学における理論変化にとって本質的だった.

Written on September 5, 2018.
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