■化学史における教科書——Brooke 2000

John Hedley Brooke, “Introduction: The Study of Chemical Textbooks,” in Communicating Chemistry: Textbooks and Their Audiences, 1789–1939, ed. A. Lundgren and B. Bensaude-Vincent (Canton, Mass.: Science History Publications, 2000), 1-18.

化学史における教科書の役割に関するワークショップの成果物への導入.教科書に対する関心が高まりつつあるが,まず問題となったのは,教科書とはそもそも何であるかという定義の仕方である.啓蒙書や専門書(treatise)との区別や,そもそも当該の分野が確立する前に書かれた本はどう扱うかという問題がある.そもそも今日的な意味での教科書という媒体が成立するのが19世紀の中葉である.さらに,各国ごとの特徴も見受けられる.このワークショップから得られた教訓のひとつは,どのように教科書を定義しようとも,そこからはみ出たり,あるいはいくつかの要素が混同したりするような本が必ず出てくる,ということだ.

クーンによれば教科書は通常科学の産物であり,すでに確立した知識の集積である.しかし,少し詳しく調べてみれば,既存の知識を再編成してまとまった形にすることは,それ自体複雑で困難なことである.だから,教科書に書かれている知識がその時代の通常科学をそのまま反映しているとは必ずしも言えず,その点に関しては慎重な考察が求められる.標準的と目される理論についても,また認識論的な立場についても同様である.

教科書と政治的・政治的要因との関係はきわめて興味深い.たとえば新しい教育制度や試験制度に応じてさまざまな教科書が出版された.化学に関して言えば,医学教育との関係は見過ごせないものがある.また,社会主義諸国における化学の教科書には,一見何の政治的な影響もないように見えるが,教科書の出版点数が増大したことの背景にはやはりソヴィエト的な教育モデルがあった.

専門分化が進行するのに応じて教科書も分化していった.また,多くの版を重ねた教科書の異同を追跡することで,その著者がどのような理論的・技術的変化を重要だとみなしたのかが分かる.教科書の中には他の言語に翻訳されるものもあったが,それらは単なる言葉の置き換えでなく,訳者の側の事情によりさまざまな変更が施された.教科書を出版するに際しての出版社の意向も無視できない.教育制度の改変にともなって読者層は拡大したが,それは出版社にとっては商機に他ならなかった.

古くは,教科書の中に,その分野の歴史記述が含まれており,歴史的な順序に沿って内容を説明されていくことが行われていた.しかし,時代が下ると,歴史的というよりも論理的な順序に沿って内容が説明されていくようになる.また,国ごとに好まれる理論が異なったため,教科書の構成にも国ごとの特徴が見られる.

Written on December 14, 2018.