■教科書——Simon 2016
Josep Simon, “Textbooks,” in A Companion to the History of Science, ed. B. Lightman (Wiley-Blackwell, 2016), Ch. 28.
科学史研究において,教科書それ自体の探究をより深化させるべきである.というのも,教科書には,著者の考えのみならず,教育という文脈や国家や出版といった要素が含まれており,教科書研究をすることによって科学史・教育史・出版史の接点に光を当てられるからだ.近年,科学史における大衆化の研究では啓蒙書や雑誌に焦点が当てられてきたが,教科書にも同様の措置がなされるべきである.
クーン,バシュラール,そしてサートンは早くも教育あるいは教科書に着目し,教科書に見られる知識の体系と研究現場における知識創造のプロセスの違い,教科書が18世紀以降の科学に特徴的な知識の形態であること,教科書は本質的に保守的で変化しにくいこと,もっとも売れた教科書がもっとも代表的な教科書であるわけではないことなどを指摘している.最後の点に関しては,ある教科書を「古典的」であるとか「正典的」であるとか言わしめるのは,その内的な価値なのか,それとも歴史的かつ偶然的な事情なのか,あるいは著者やエリート科学者たちの地位なのか,多くの読者や彼らによる読書なのかといった問題が存在するだろう.
教科書とはそもそも何かという定義の問題もある.教室で取られたノートは,教科書だけからは分からない教育の実践を示す.教育課程との関係(これからすれば,教科書というジャンルが問題になるのは18世紀以降だとする論者も多い.しかし,あまりそれに囚われすぎるのも問題だろう)を無視することはできない.ここで問題となるのは,教育・学習における使用とその権威性である.「論考 treatise」と名付けられた本には,通常は十分な科学的権威を持ったものにつけられ,教科書として扱われることもあるが,一応区別しないといけない.というのは「論考」の方にはオリジナルな成果が盛り込まれるが,教科書は教育専門の人も書くからである.研究と教育はつねに関係するものだが,研究から刺激を受けてある主題を提示する際には,入門的,包括的,標準的,革新的という程度がありうる.
教科書の研究は学際的でありうるが,これまでの科学史研究では化学や物理学の内部だけで行われてきたようだ.化学史の例で特に顕著なのは2000年に出版された Communicating Chemistry である.物理学史でも多くの研究が積み重ねらているが,初期の研究では概念的な問題に焦点が当てられており,教科書という媒体それ自体への興味は見られない.Warwick や Kaiser の研究にもなお観念史的な影響は色濃いが,科学教育に関する発展を採り入れてもいる.教科書研究としてよりバランスが取れているのは,フランスの教師ガノーが出版した物理学の教科書に関する諸研究である.生物学史では,教科書は通常科学の知識の集積所として扱われてきたが,特に進化論の場合などで,宗教や政府とのあいだで教科書が政治的な役割を持つことにもっと注意が向けられるべきだろう.教科書研究にあっては,国家の中での教育制度などの形式的な側面も重要であるが,英国は事情が複雑であり,例外的に扱われるべきだろう.教育史では初等・中等教育に焦点を当て,科学史では高等教育に焦点を当てるといった関心の違いも見られる.
将来的には,科学史・教育史・出版史の接点を掘り起こし,多様な分野に寄与することが必要だろう.科学史における潮流が,科学の形成とそのコミュニケーションの境界を切り崩すことにあるのなら,教育にもっと目を向けるべきである.教科書にはその分野の核心をなす体系が記されており,出版にかかわる事情は知識生産に直接的な影響をもたらしうる.地域的な事情や政治的な事情も,教科書の形式や内容にかかわる.翻訳による国際的な影響も持ちうるが,これは科学史においてグローバル化研究が進んでいることと親和的である.