Gavroglu and Simões, Neither physics nor chemistry (2012)

K. Gavroglu and A. Simões, Neither physics nor chemistry: A history of quantum chemistry (The MIT Press, 2012), Introduction.

Preface

半世紀にわたる量子化学の成立史を論じる.これにはさまざまな側面がある.ひとつはその基礎となった物理理論,二つ目は社会・制度,三つめは当時の物理学者が有していた哲学的規準などの偶発的な事情である.計算機の登場は量子化学にとって本質的な重要性を持っていた.また,量子化学は科学哲学にとっても興味深い題材を提供してくれる.

量子化学の発展におけるさまざまな概念は,ひとまずは,数学なしでも説明できる.だが注意しなければいけない.それは,数学が不要だと言っているのではない.よくある誤解や神話は,技術的な詳細を無視するところから生じる.とはいえ,現代的な知識を持った読者にとっては,当時の技術的詳細を解説しても益するところは少ないであろう.この板挟みを解決する一般的な方法は存在しない.ここでは,そのような問題が生じるときには,当面の話題にとって関係が深いと思われるものは説明するが,それでも技術的詳細を厳密に追わなくても読み通せるように配慮することにした.

Introduction

1970年前後に量子化学の世界をリードしたCoulsonとLöwdinの言葉からは,彼らが量子化学という分野の地位に,ある種の落ち着かなさを覚えていたことが分かる.それは分野の方法論,研究の枠組み,正当化,教科書・学術誌・会議の役割,制度化,そしてさまざまな理論的・哲学的問題に関係していた.この本では,以下の六つの側面から量子化学という中間領域の成立を論じる.

  1. 量子化学の認識論的側面の歴史的変化.とくに,物理学からも化学からも相対的な自立性を獲得したプロセスに着目する.
  2. 量子化学という分野の誕生.これは大学での講座や教科書の執筆,会議の開催などの制度に関連する.
  3. 量子化学の偶発的な側面.これは,実際の量子化学の歴史的発展においては,理論的のみならず,文化的・哲学的要素も寄与していたということであり,(たらればを語りたいわけではないのだが)他の可能性もあったのだ,ということである.
  4. 量子化学のコミュニティの実践が1960年代前半に洗練されたこと.とくに電子計算機や第一原理計算の登場を扱う.
  5. 量子化学の科学哲学.これは化学の哲学が発展してきたことと関連する.還元主義,科学的実在論,記述的・予測的理論の役割,図像的表現と数学の役割,半経験的アプローチと第一原理の役割など.
  6. 量子化学における「推論のスタイル」.これはハッキングが導入した考え方である.ただし,「スタイル」は「理論」「モデル」を置き換えるものではない.むしろそれらはさまざまな理論的枠組みにおける発展を追うために有用な参照点である.

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Written on June 9, 2017.
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Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 13.9--13.10

Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 13.9–13.10.

9. 遠心力

1876年5月20日,ヴィンデルバントはチューリヒで「心理学研究の現状について」という教授就任講演[ランゲ,ヴントの後任]を行う.そこで彼は新しい経験科学に敬意を払いつつ,哲学と心理学は互いの領分を侵してはならないと述べる.分業すべきだというのだ.これには,当時のドイツの大学で,哲学のポストが心理学者によって占められつつあったという事情も絡んでいた.そこでヴィンデルバントは,経験科学としての心理学は哲学から独立なのであると主張する戦略を採り,哲学の任務を,科学探究の方法の正当化に求めたのである.これが意味するのは,以前のような論理学(哲学)・心理学・形而上学の混合的アプローチが分裂した,ということであった.

このような方向はさらに「カントの物自体の学説のさまざまな段階について」(1877)でも推し進められた.ここでヴィンデルバントは,カントの物自体の学説には三つのたがいに矛盾する見解が含まれるという.

  1. 物自体は思惟できず,それゆえ不可能である.
  2. 物自体は,われわれが知ることはできないとしても,仮定できるものである.
  3. 物自体は,現象界を説明するために仮定しなければならないものである.

『純粋理性批判』の中にはこのいずれも含まれているため,カントを理解することはカントを超えることである——そのようにヴィンデルバントは述べた.

ヴィンデルバントは最初の見解を支持した.客観性とは表象と実体の対応ではなく,感覚相互の整合性に由来するものであるから,物自体とは対象概念の実体化に過ぎない.また,カントによれば,経験を超えたものの存在を仮定することはできない.だから,カント哲学の真の精神は(このことを明示的に述べたカントのテクストはないのだが),物自体を廃止するところにあり,「認識論の観点からすれば,物自体はまったく無意味で無用,かつ混乱を引き起こす厄介な虚構である」というのである.このように知識を経験に制限した結果,認識論は形而上学と袂を分かつことになった.

さらに,哲学において物自体を廃止することは,同時に心理学をも不要とする.カントの知識に関する探究は,もともとは精神から生ずる表象と対象の対応を問題としており,そこから物自体の存在が心理学的に要請されたのだった.しかし,もし知識というものを完全に内在的に説明できるのだったら,もはや問われるべきは知識の原因ではなく内容となる.これは権利問題であり,論理的探究の対象である.

このようにして心理学はヴィンデルバントの認識論から外されたのであった.1877年のことである.しかし,ある哲学史家は,このような転回は1878年移行に生じたのであると主張している.ケーンケである.

10. 規範性の政治学

ケーンケによれば,上述の説明はあまりにも素朴である.というのは,ヴィンデルバントの置かれた政治的・社会的文脈を考慮していないからである.1878年,皇帝ヴィルヘルム1世に対する暗殺未遂事件が立て続けに発生した.ケーンケによれば,ヴィンデルバントは社会主義者を危険視し,これに対する応答として規範性概念を作り上げたというのである.哲学は文化の普遍的必然的価値を代弁する.ここでいう普遍的価値とは教養ある上層階級にしか理解できないもので,大衆はそのような知識を欠くため,統治者たりえない.そこで哲学における規範意識は「民主主義者・共和主義者・社会主義者どもに対する武器」となるのだ.

ケーンケがこのような政治的文脈を持ち出してきたのは,1870年代後半に,ヴィンデルバントの立場が急に変わったようにみえるからだ.だが仔細に調べれば,まず,そのような転回は既に1876年に生じはじめているし,また一挙に意見を変えたわけでもない.規範性への着目は初期にも見られる.また,この頃のヴィンデルバントにとって,歴史的=心理的アプローチと規範的アプローチとは相補的なものであった.

もちろん,政治的な事件が,完全な規範性へと舵を切るきっかけになった,という可能性は捨てきれない.ケーンケの言う通り,ヴィンデルバントが政治的には保守的だったことは間違いない.民主主義は衒学的で,文化的な統一や法則の自律性を損いかねないと彼は考えていた.だが,政治的な動機によって哲学的な立場を変更したのかどうか,ということは別に検討されねばならない.何よりもまず,「ソクラテスについて」では,ヴィンデルバントは民主制そのものには反対していないということを確認する必要がある.「ヘルダーリン」における彼の記述をよく読めば,実は民主制に敵対していたどころか,同程度の教育を受けた人々に対しては等しい機会が与えられるべきことを主張していたことが分かる.そしてそこでは,一つの世界観を提供するものとしての哲学が理想として掲げられていることも分かる.このことは,規範の学としての哲学と,心理学との分業という態度には反する.

政治的立場だけでこの種の問題に決着をつけるのは難しい.ドイツのマンダリンたちは,ほぼ同じ政治的立場を共有しながら,きわめて多彩な哲学的立場を打ち出したのだから.この点で,リンガー『読書人の没落』にあるような,「ドイツの大学インテリゲンチャの思想の淵源を,ドイツ社会で彼らが演じた特異な役割の中に探る」(リンガー『読書人の没落:世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』西村稔訳(名古屋大学出版会,1991年),2頁)という試みには懐疑的にならざるを得ない.

Written on May 21, 2017.
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Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 13.7--13.8

Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 13.7–13.8.

7 初期の哲学

ヴィンデルバントはつねに哲学を規範の学と定義したのではなく,初期には認識論や基礎付け主義に興味を示していたことが認められる.教授資格申請論文「認識の確実性について」(1873)はまさに認識論的な論考であったが,それは道徳的存在としてのわれわれに関係するからであった.ヴィンデルバントは哲学を「存在と思惟の究極的基礎の探究」と定義し,科学の論理としての哲学観とは対立したが,それでも思弁的観念論とは距離を保ち,科学と協力すべきだと考えた.とはいえ,彼は実質的にはヘルムホルツやランゲらの路線とは対立した.心理学的な探究によって知覚がわれわれの精神の産物であることが分かったとして,どうやったら客観的な真理というものを主張できるのだろうか,というのである.彼はこのあと,基礎付け主義的なプログラムを推し進めることはなかったが,完全には放棄していなかったようである.

初期ヴィンデルバント哲学の特徴は,認識論に対する全体論的アプローチである.というのも,「確実性について」論文で,彼は認識論の中に論理学,心理学,形而上学を含め,それらの協働を説いたからだ.また,心理学の必要を強調している点も注目される.われわれの推論がどのように行われるかは論理学によって明らかになるが,その推論のメカニズムを教えてくれるのは心理学である.だからといって論理学の重要性が心理学に劣ることはなく,特にのちの規範性に関連するアイディアを提出してもいる.論理学の法則は知識を得るための手段を述べる仮言命法であり,「目的の法則,すなわち規範」である.

ヴィンデルバントは「確実性について」論文の終わりのほうで,ロッツェにならい,認識論の諸問題は究極的には形而上学によって解決されると述べている.また,認識論ではそれ以上説明されない感覚所与そのものの探究も形而上学によって行われる.どちらもヘルバルト的な要素を受け継いでいると言えよう.いずれにせよ,後の規範の学としての哲学観に至るためには,心理学と形而上学が追い出される必要があった.

8 規範の論理

ヴィンデルバントが意見を変えるきっかけとなったのは,1874年に出版されたジークヴァルトの『論理学』である.これは純粋に形式的な論理学を目指した著作であり,いまやヴィンデルバントにとっての問題は,いかにして論理学は独立な学たりうるのかということになった.真理性についての考察から,心理学と論理学は別物であることが明らかとなった.形而上学はあまりにも多くの未解決問題を抱えていた.純粋に形式的な論理学へと至るための鍵は,真理の規範性である.規範的必然性は「そうであるべきだ」の観点から捉えられるが,自然的必然性は「そうでなければならない」の観点から捉えられる.そして論理学は前者に属する.

これらの論点は,ジークヴァルト『論理学』に対するヴィンデルバントの書評から明らかである.だが,ここでヴィンデルバントの関心にあったのは,純粋に形式的な論理学だけであったということに注意しなければならない.それは認識論の一部に過ぎず,それゆえ認識論全体が心理学や形而上学から分離されるべきだとヴィンデルバントが考えていたことにはならない.彼がいまだに混合主義を支持していたことは,1875年の「民族心理学の観点からみた認識論」という論文からも明らかである.彼はそこで,論理的法則の歴史的起源を強調し,またその理解のために心理学が不可欠であることを主張したのだった.彼がこの時点で論理的規範の普遍性と必然性をも擁護していたのは確かだが,認識論に対しては論理学も心理学も歴史学も必要であると考えていたことは注意しなければならない.

Written on May 21, 2017.
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Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 13.5--13.6

Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 13.5–13.6.

5. 哲学の方法

哲学の任務という問いは「批判的方法か,生成的方法か?」(1883)でも,経験科学とは異なる哲学固有の方法の探究という形で繰り返された.帰納的方法と演繹的方法のあいだには違いはあるものの,どちらも公理から始まるという点で共通する.哲学とは公理の学であり,論理学は科学の公理,美学は芸術の公理,倫理学は道徳の公理であるから,哲学の主要問題は公理の妥当性である.公理自身は証明(beweisen)という意味での正当化はできないが,評価は可能であるし,またその直接的確実性は証示すること(aufweisen)もできる.直接的確実性は,事実的妥当性を明らかにする(生成的方法)か,目的的必然性を明らかにする(批判的方法)ことで示される.前者は事実的で,後者は規範的である.これらの違いは,自然法則と規範,判断と価値判断の違いを反映している.そして,批判的方法だけが哲学の特有の方法である.生成的方法によっては公理が事実的に妥当であることしか分からないし,その帰結は心理学的・歴史的な原因からの必然的なものでしかない.これは相対主義へと陥る危険を孕む.

それに対応するのが批判的方法ではあるが,しかし,これは倫理的相対主義者を説得できるのだろうか?ヴィンデルバントの回答は,相対主義者はまず自家撞着に陥いるであろう,というものだが,これは論理については有効であるものの,道徳や美学の領域にあっては有効な反論ではない.さまざまな目的を目的とも思わない背徳者やダダイストはどうするのか?それに対するヴィンデルバントの回答は「そのような輩を相手にする必要はない」というものである.批判的方法は,普遍的に妥当な目的が存在することへの信頼を前提にするというのだ.

批判的方法には,いかにして個人的な経験から普遍的な規範的意識を知ることができるか,という難題もある.これも注意深い哲学者であれば回避できるとヴィンデルバントは言うが,しかし目的を達成するための手段を知るためには目的をあらかじめ知っていなければならない.また,知識,道徳,美が具体的にどこにあるのかを知ることができなければ,批判的方法にほとんど意味はない.ヴィンデルバントはここで現実の世界をよく観察せよと述べるが,個別的な事実から普遍的な帰結を導くのは不可能であるし,発見法として用いることもできない.

ヴィンデルバントは理性の原理について,ヘーゲル的な歴史に敬意を払っている.歴史が理性の原理も具体的な内容も教えてくれる.とはいえ,ヘーゲルは規範と自然のあいだのギャップを歴史理性によって克服しようとしたのだが,ヴィンデルバントにとってそのギャップはつねに存在するものであった.歴史は因果法則に従ってはいるが,論理法則には必ずしも従わないからだ.後期の著述から分かるように,ヴィンデルバントはヘーゲルに敬意を払い続け,歴史を重視しつづけた.だが新世紀に入って新カント派が老いる一方で,新ヘーゲル派はまさに勃興しようとしているところであった.

6. 自由の問題

さて,哲学の根本的な問題とは,規範の可能性を説明することである.決定論的宇宙で規範なるものがどうして可能なのか?この問題はすでに「規範と自然法則」(1882)で扱われたが,それがより完全な形で展開されるのは『意志の自由について』(1903年のハイデルベルクでの12講義)である.

意志の自由を論ずるにあたっては,まず自由には複数の意味があること,自由とは相対的な概念であること,さらにそれが何からの自由を意味しているのかを踏まえなければならない.意志の三段階に応じて,三段階の自由(意志作用[?],異なる欲求のあいだの選択,行為それ自身)がある.行為の自由は,意志と作用を結びつけることで,われわれの能力の及ぶ範囲で身体の運動を引き起こす.

選択の自由は,たとえ選択にしたがって行動できないときでも,その目的を失うだけで,ともかくも存在する.選択の自由は心理学的な概念であり,道徳的自由は規範的概念であって,両者はまったく別物である.たとえば,ある人物が選択の自由を有しており,かつ道徳的自由は有していない,ということは想定しうる.だが,この両者はしばしば混同されるという(ヴィンデルバント自身,「規範と自然法則」ではこのミスを犯していた).

選択の自由に関しては,等しい選択肢のあいだでは十分な理由[動機]のない選択もありうるが,意志作用という意味では原因のない選択はありえない.行為の原因については,ヴィンデルバントは決定論を認める.とくにわれわれの行為を決定するのは,われわれの持つ一時的あるいは定常的な動機(性格)であり,このことをヴィンデルバントは自己決定と呼ぶ.すると,選択の自由とは,われわれが,われわれの性格にしたがって行為することを選択することを意味する.もしそうなら,これは非決定論をも満足させる.非決定論者からみれば決定論では動機が外部にあるように見えるが,決定論であっても動機はわれわれの中にありうるからだ.決定論と非決定論のあいだの対立は解消される.

これは「規範と自然法則」における両立主義とそう変わらないように見えるが,ヴィンデルバントは責任の考察を通じてより複雑な理論を展開している.それは,行為の自由は心理学的な概念で,また選択の自由も心理学的なものであるが,意志の自由は形而上学的概念だという考えだ.責任については因果性が問題となるが,実は因果性には,異なる事象のあいだで成立するものと,実体と個別の事象のあいだで成立するものの二種類がある.形而上学的自由は前者とは相容れないが,後者とは両立する.事象の系列の外側にある実体に対しては,原因を持たない意志を付与できるというのだ.そして,この意味での形而上学的自由は,人格全体(これが事象の系列の外側にある)に対してのみ適用できる.人格のはたらきは,自存性によって説明される.

このように形而上学的自由の概念を展開しておきながら,後の箇所でヴィンデルバントは,それは余計なものに過ぎないと述べる.結局,ある人の責任を問うときに必要なのは,行為の自由と選択の自由のみであり,形而上学的な意志の力などは不要である.異なるふうにもできたであろうということが本当に意味するのは,そうすべきであったのに,ということか,異なる性格であればそうしたであろう,ということである.ここにふたたび決定論が顔を出す.ヴィンデルバントは道徳的な責任から形而上学的な含みを除去するために,人間の行為を考察する二種類の方法を取り上げる.ひとつは規範によるもので,もうひとつは法則によるものだ.ここで規範によって人間の行為を考察するとは,因果的説明を捨象してさまざまな規則との整合性を扱うということであって,人間の行為が因果性を持たないと言っているわけではない.このように見てくると,規範的なものと自然的なものの区別は,異なる存在論的ステータスではなく,人間の行為を説明する際の異なる観点に対応することになる.存在論的な含意を持たないことによって,規範の領域は形而上学なしでやっていけるようになる.

Written on May 10, 2017.
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Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 13.1--13.4

Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 13.1–13.4.

1. ヴィンデルバントと新カント主義

コーエンによる認識論的な方向性は,ヴィンデルバントによっても推進された.彼らはフリースやヘルムホルツによるカント哲学の心理主義的な解釈に反対し,哲学の主たる問題は権利問題にあるとして超越論哲学を擁護した.彼らはカントの哲学を批判的観念論であると読んだ.ヴィンデルバントとコーエンの見解は,1880年代から90年代にかけての主流となった.

これだけ類似した見解を持っていたにもかかわらず,コーエンとヴィンデルバントは直接会ったことはないようだ.ある論文の中でヴィンデルバントはコーエンに対して,反心理主義であることや,カント哲学の論理的側面の強調は評価しているものの,コーエンのカント注解や,カント的な学問観に対しては批判を行っている.コーエンとは異なり,ヴィンデルバントは体系的な哲学を残さなかった.『哲学序曲』(初版1884年;第9版1924年)に片鱗がうかがえるのみである.

ヴィンデルバントの新カント派への貢献はふたつあると言える.ひとつは歴史学の論理であり,これはリッカートやラスクに継承された.もうひとつは規範の学としての哲学観であり,これはのちのドイツ哲学の基調となる価値の哲学の基礎となった.ヴィンデルバントがいかにして新カント主義者となったかは明らかではないが,クーノ・フィッシャーの影響は認められるし,またリープマンとは1882年にシュトラースブルクで会ったことがあり,その後頻繁に意見を交換していたようだ.

この章では,ヴィンデルバントの規範についての見解を追っていこう.

2. 規範の学

ヴィンデルバントが最初に規範の学としての哲学観を提出したのは,『純粋理性批判』出版百周年を記念した講演「イマヌエル・カント」(1881)においてである.そこで彼は,カントの体系を,理性が経験の限界を超えられないことを指摘し,また理論理性を道徳・美学から区別して,古代ギリシア哲学以来の知の変革をもたらしたものとして称揚した.カントの体系による諸学の基礎は,存在や形式ではなく,理性の自律性と経験にある.またそれは,新しい数理科学とも密接な関係にある.もちろんギリシア人も自然界を数学的に把握できることを確信していたが,カントは彼らとは違い,数学は人間による構成物であるから.数学的知識を現象界に制限したのだった.だがカントを実証主義者と断じてはならない.というのも,実証主義者は諸科学の可能性の前提条件をまったく考慮しないからである.カントによれば,科学を可能とするためにはさまざまな基礎概念や基礎原理が必要であり,これらは科学によってではなく哲学によってはじめて探究される.

さて,カント哲学の肝は,いかにしてアプリオリな表象がその対象と関係づけられるかという問題であるが,ここでカントは,知識の可能性を,(表象と対象の対応ではなく)規則とその表象との一致によって定めたのであった.ヴィンデルバントにとって,「規範」とは「規則」のことであり,そのことは「真理とは思惟の規範性である」という原理に明瞭である.規範性の概念自体はすでにロッツェ,ヘルバルト,ジークヴァルトらに見られるが,ヴィンデルバントは規範性を哲学の中心的概念にまで押し上げた.哲学の任務とは,人間の活動すべて(科学,道徳,芸術)に価値を付与する基本的な規範を定めることであるという.哲学は世界像ではなく,規範的意識の理論である(後にヴィンデルバントは見解を変えるが).

3. 哲学の復権

上の講演「イマヌエル・カント」と翌年の「哲学とは何か」(1882)という論考は,哲学のアイデンティティ・クライシスへの回答でもあった.ヴィンデルバントにとって哲学の危機は,形而上学としての地位が維持できないことから始まるものだった.形而上学なき哲学に何が残されているのか?その答えは知識の原因に関する心理的・歴史的探究としての認識論ではなく(それはカント以前の認識論に過ぎない)知識の価値や妥当性に関する批判的探究としての認識論であり,問われるべきは表象の原因ではなく判断の正当化である.それこそが知識の理論としての認識論に課せられた任務である.したがって,心理主義的な伝統に乗る人々はすべてカントを誤読しているのである.さらに,いまや心理学は独立した経験科学となっているのだから,心理主義的な認識論は結局のところ科学のひとつとなってしまう.「哲学とは何か」の中心的な議論は,規範的な哲学観のみが哲学の危機を克服しうる,というものだ.

ヴィンデルバントの認識論に対する見方をもう少し見てみよう.それはアプリオリ総合であるとか,普遍的・必然的命題の批判であり,それゆえ哲学は「普遍的に妥当な価値の批判の学」である.普遍的に妥当な主張には科学,道徳,芸術の三種類があり,これらは認識,意志,感覚の領域に対応する.だから,科学・道徳・芸術の哲学が存在する.ヴィンデルバントは判断(Urtheile)と価値判断(Beurtheilungen)の二種類の命題を区別するが,前者は対象に何らかの性質を付与するのに対し,後者は対象に対する(肯定・否定といった)主体の態度を,そしてそれによって対象の価値を定める.哲学は価値判断を(記述するのでもなく,説明するのでもなく)行う.それは誰によっても妥当と認められる,普遍的なものでなければならない.科学・道徳・芸術の各領域で,それぞれの最高次の規範を認識する理想的な存在(があるのかどうかは分からないが)を規範意識と呼ぶ.

4. 規範的なものと自然的なもの

このような戦略は,それはそれでよいものの,では規範的なものと自然的なものはどう関わるのだろうか.もし両者のあいだに何も関係がないのならば,哲学は現実の世界については何も言えないのだろうか.この問題についてヴィンデルバントは,規範の自己意識がわれわれの行動や思考や感覚を決めるのだから,哲学はやはり現実世界に寄与するところがある,というカントの見解を共有しているのだが,これをいかにして正当化できるのだろうか.「規範と自然法則」(1882)という論考を見てみよう.

ヴィンデルバントは自由意志の問題の文脈に置き直して考える.規範は,われわれに選択の余地が与えられている場合にのみ意味がある.もしわれわれの思惟や道徳や感覚が自然法則によって必然的に決定されているのならば,規範など無意味になるであろう.だから,規範と自然法則の関係が問われなければならない.ヴィンデルバントによれば,規範と法則とは矛盾するものではなく,むしろ同じ対象を相補的な観点から扱うものである.もちろん,それらには関係がある.というのも,「べし」は「できる」を含意[前提]し,そのような規範が妥当となるのはそれが[自然の側で?]可能な場合のみであるから.

規範と法則の関係をより詳しく見てみよう.両者のあいだの関係は偶然的である.人間の行動は必然的であるが,だからといって人間の行動がすべて規範に適うかというと,必ずしもそうではない.とはいえ,まったくすべてが偶然的であるわけでもない.自然法則によれば,思惟,意志,感性にはそれぞれ沢山の可能な形式がある.それらから,最善かつもっとも価値あるもの(論理学,倫理学,美学)を選び出すのが規範である.規範とは自然法則を通じた,普遍的妥当性達成のための価値の実現である.規範は,行為を生み出す理由のみならず,原因ともなる.

だがこのような方針は,決定論的な宇宙における規範のはたらきや意義をめぐる問いにおいては論点先取である.結局われわれは自然法則にしたがって行為しているだけなのではないだろうか.ヴィンデルバントは自由と必然性に関する両立主義でもって答えようとする.両者が相容れないように見えるのは,規範による行為は(自然法則に反して)他のように行為する可能性を含むと考えるからだが,行為の理由が行為の原因となりうる以上,このように考える必要はない.だから,ヴィンデルバントはカントによる自由へのアプローチに批判的だ.カントは道徳的責任と自然の因果性が相容れないという誤った前提から出発し,意志を叡智界に押し込めてしまったが,これでは真の道徳性は不可知ということになってしまう.規範と自然のあいだの二分法を再考しなければならない.ヴィンデルバントはここで第二批判の自由概念(道徳的に行為する力)を採用しているが,これには問題がある.というのも,不道徳である自由が扱えなくなるからだ.カントはこれを克服するために意志と選択意志の区別を導入したが,これは結局自由の領域と自然の領域の二分法を認めることになってしまう.

Written on May 6, 2017.
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