■Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 13.7--13.8

Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 13.7–13.8.

7 初期の哲学

ヴィンデルバントはつねに哲学を規範の学と定義したのではなく,初期には認識論や基礎付け主義に興味を示していたことが認められる.教授資格申請論文「認識の確実性について」(1873)はまさに認識論的な論考であったが,それは道徳的存在としてのわれわれに関係するからであった.ヴィンデルバントは哲学を「存在と思惟の究極的基礎の探究」と定義し,科学の論理としての哲学観とは対立したが,それでも思弁的観念論とは距離を保ち,科学と協力すべきだと考えた.とはいえ,彼は実質的にはヘルムホルツやランゲらの路線とは対立した.心理学的な探究によって知覚がわれわれの精神の産物であることが分かったとして,どうやったら客観的な真理というものを主張できるのだろうか,というのである.彼はこのあと,基礎付け主義的なプログラムを推し進めることはなかったが,完全には放棄していなかったようである.

初期ヴィンデルバント哲学の特徴は,認識論に対する全体論的アプローチである.というのも,「確実性について」論文で,彼は認識論の中に論理学,心理学,形而上学を含め,それらの協働を説いたからだ.また,心理学の必要を強調している点も注目される.われわれの推論がどのように行われるかは論理学によって明らかになるが,その推論のメカニズムを教えてくれるのは心理学である.だからといって論理学の重要性が心理学に劣ることはなく,特にのちの規範性に関連するアイディアを提出してもいる.論理学の法則は知識を得るための手段を述べる仮言命法であり,「目的の法則,すなわち規範」である.

ヴィンデルバントは「確実性について」論文の終わりのほうで,ロッツェにならい,認識論の諸問題は究極的には形而上学によって解決されると述べている.また,認識論ではそれ以上説明されない感覚所与そのものの探究も形而上学によって行われる.どちらもヘルバルト的な要素を受け継いでいると言えよう.いずれにせよ,後の規範の学としての哲学観に至るためには,心理学と形而上学が追い出される必要があった.

8 規範の論理

ヴィンデルバントが意見を変えるきっかけとなったのは,1874年に出版されたジークヴァルトの『論理学』である.これは純粋に形式的な論理学を目指した著作であり,いまやヴィンデルバントにとっての問題は,いかにして論理学は独立な学たりうるのかということになった.真理性についての考察から,心理学と論理学は別物であることが明らかとなった.形而上学はあまりにも多くの未解決問題を抱えていた.純粋に形式的な論理学へと至るための鍵は,真理の規範性である.規範的必然性は「そうであるべきだ」の観点から捉えられるが,自然的必然性は「そうでなければならない」の観点から捉えられる.そして論理学は前者に属する.

これらの論点は,ジークヴァルト『論理学』に対するヴィンデルバントの書評から明らかである.だが,ここでヴィンデルバントの関心にあったのは,純粋に形式的な論理学だけであったということに注意しなければならない.それは認識論の一部に過ぎず,それゆえ認識論全体が心理学や形而上学から分離されるべきだとヴィンデルバントが考えていたことにはならない.彼がいまだに混合主義を支持していたことは,1875年の「民族心理学の観点からみた認識論」という論文からも明らかである.彼はそこで,論理的法則の歴史的起源を強調し,またその理解のために心理学が不可欠であることを主張したのだった.彼がこの時点で論理的規範の普遍性と必然性をも擁護していたのは確かだが,認識論に対しては論理学も心理学も歴史学も必要であると考えていたことは注意しなければならない.

Written on May 21, 2017.