■Gavroglu and Simões, Neither physics nor chemistry (2012)

K. Gavroglu and A. Simões, Neither physics nor chemistry: A history of quantum chemistry (The MIT Press, 2012), Introduction.

Preface

半世紀にわたる量子化学の成立史を論じる.これにはさまざまな側面がある.ひとつはその基礎となった物理理論,二つ目は社会・制度,三つめは当時の物理学者が有していた哲学的規準などの偶発的な事情である.計算機の登場は量子化学にとって本質的な重要性を持っていた.また,量子化学は科学哲学にとっても興味深い題材を提供してくれる.

量子化学の発展におけるさまざまな概念は,ひとまずは,数学なしでも説明できる.だが注意しなければいけない.それは,数学が不要だと言っているのではない.よくある誤解や神話は,技術的な詳細を無視するところから生じる.とはいえ,現代的な知識を持った読者にとっては,当時の技術的詳細を解説しても益するところは少ないであろう.この板挟みを解決する一般的な方法は存在しない.ここでは,そのような問題が生じるときには,当面の話題にとって関係が深いと思われるものは説明するが,それでも技術的詳細を厳密に追わなくても読み通せるように配慮することにした.

Introduction

1970年前後に量子化学の世界をリードしたCoulsonとLöwdinの言葉からは,彼らが量子化学という分野の地位に,ある種の落ち着かなさを覚えていたことが分かる.それは分野の方法論,研究の枠組み,正当化,教科書・学術誌・会議の役割,制度化,そしてさまざまな理論的・哲学的問題に関係していた.この本では,以下の六つの側面から量子化学という中間領域の成立を論じる.

  1. 量子化学の認識論的側面の歴史的変化.とくに,物理学からも化学からも相対的な自立性を獲得したプロセスに着目する.
  2. 量子化学という分野の誕生.これは大学での講座や教科書の執筆,会議の開催などの制度に関連する.
  3. 量子化学の偶発的な側面.これは,実際の量子化学の歴史的発展においては,理論的のみならず,文化的・哲学的要素も寄与していたということであり,(たらればを語りたいわけではないのだが)他の可能性もあったのだ,ということである.
  4. 量子化学のコミュニティの実践が1960年代前半に洗練されたこと.とくに電子計算機や第一原理計算の登場を扱う.
  5. 量子化学の科学哲学.これは化学の哲学が発展してきたことと関連する.還元主義,科学的実在論,記述的・予測的理論の役割,図像的表現と数学の役割,半経験的アプローチと第一原理の役割など.
  6. 量子化学における「推論のスタイル」.これはハッキングが導入した考え方である.ただし,「スタイル」は「理論」「モデル」を置き換えるものではない.むしろそれらはさまざまな理論的枠組みにおける発展を追うために有用な参照点である.

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Written on June 9, 2017.