■ガノーの教科書——Simon 2016
Josep Simon, Communicating Physics: The Production, Circulation, and Appropriation of Ganot’s Textbooks in France & England 1851–1887 (University of Pittsburgh Press, 2016), Conclusion.
ガノー(Adolphe Ganot, 1804–1887)がフランスで出版した教科書『実験・応用物理学原論』(Traité élèmentaire de physique expérimentale et appliquée, 1851)と,それに強い影響を受けたイギリスのアトキンソンの教科書が及ぼした影響を追うことを通じて,19世紀の物理学とは何なのかという問いにアプローチすると同時に,教科書という媒体の歴史学的重要性を主張する本.教科書の教育的・科学的・物質的特性が問題となる.その結論部に目を通した.
教科書を検討した結果,19世紀の物理学の特徴として挙げられるのは,それが主として実験に基礎を置く,化学的・医学的な色彩が濃い教育的分野だったということである.これは,当時行われた教育制度の改革の結果であるが,まさにそれゆえに物理学が分野として確立したのだとも言える.また,ガノーの教科書は,歴史や実験の説明に大きな紙幅を割いているが,アトキンソンは数学的な説明を重視している.これは英仏のスタイルの違いとしてしばしば言われることとは逆である.
ガノーとアトキンソンの教科書の普及を考察する際に欠かせないのは,出版に関わる人々のはたらきである.印刷技術の向上や,国際的な販路の開拓により,ガノーは権威的な地位を占めるに至った.さらに,木版技術の向上は精緻な図版を掲載して機器の分析を主要なテーマとすることを可能にした.アトキンソンがガノーに大きく依拠していた(せざるを得なかった)ことも印刷技術に関わる制約から説明できる.
19世紀の物理学は,教科書に着目すると,研究者だけでなく教科書の著者,出版社,印刷所,書店,製図工,彫版工,教師,生徒,普及家,雑誌編集者,読者を巻き込んだ,集団的な営みであることがわかる.このうち教師たちは,社会における物理学の存在感を増すために大きな役割を果たし,さらに著者に自分たちの経験をフィードバックした.読者層のうち多くを占めたのは化学や医学の学生だったが,研究者によっても使われた.