■教科書——Simon 2014

Josep Simon, “Textbook Physics,” in The Oxford Handbook of the History of Physics, ed. J. Buchwald et al. (Oxford: University Press, 2014), Ch. 21.

フランス,ドイツ,アメリカ,イギリスにおける教科書物理(textbook physics)に焦点を当てる.教科書はしばしば大学におけるエリート教育と関連づけられてきたが,それでは教育史の理解を深めるためには役に立たない.また教育史では科学の教科書や高等教育に目が向けられてこなかった.トマス・クーンの『科学革命の構造』(1962)は教科書に着目してはいるものの,クーンの態度は教科書を低く見る時代の影響を受けていると言わざるを得ない.われわれの教科書に対する見方は,研究と教育のあいだの,そして大学とその他学校のあいだのヒエラルキーを構成してきた出来事により形づくられている.このことに対する反省を行う.教科書は物理学史の研究を進める上で大きな力を秘めている.

最初に,科学史という分野が専門化する過程で,物理学の教科書が果たしてきた役割を見る.科学史が専門分野として確立するにあたって,パイオニアたちは物理学の教科書を参考にしてきた.Isis の初期の号には物理学の教科書の書評がよく見られる.他方でクーンの『構造』は,1950年代にアメリカでさかんだった,PSSCなどの教育改革を叫ぶ声のもとで執筆されたという事情をよく踏まえる必要がある.改革を叫んだ者たちは,それまで使われていた古い教科書を批判し,新しい教科書と新しい教育法を主張した.古い教科書の代表例は,ガノーの『実験・応用物理学入門』(1851)およびその英訳であった.そしてクーンは『構造』で,教科書にあるような知識の体系は,その生成プロセスを隠してしまっている,と批判したのだった.

19世紀の各国における教科書の誕生について概観しておく.1851年,英国のラヴァリングは,教科書が教育において中心的であるとの認識から,英語圏における物理学の良質な教科書の不足を嘆き,またそれが満たすべき条件包括性——正確さ,分かりやすい文体,明瞭な活字,また「発見の歴史」や使用された器具などの記述も含みつつ,自然の統一性と物理諸科学の連関を示す——をいくつか挙げている.一方で,フランスやドイツでは,中等教育の教育改革により,すでに良質な教科書が多く出版されていた.フランスでは,しばしばノルマリアンがそのキャリアの初期に教科書を書いたが,よく使用されたのはビオやプイエの教科書であり,これらは実験を主としていた.フランスで書かれた教科書はドイツにも大きな影響を与え,独訳されるとともに,ドイツ語での新たな教科書が生まれる契機ともなった.ドイツの大学における物理のゼミナール教育を象徴するのはコールラウシュの教科書である.19世紀後半のフランスの中等教育および大学教育の教科書としてはガノーの本を挙げねばならない.トンプソンによれば,ラヴァリングの嘆きから30年経過しても,英語圏における教科書の状況はさほど変化しなかったというが,これはやや不正確であり,スチュワートのエネルギー原理に基づいた教科書などは成功を収めたと言ってよい.

教科書物理は,19世紀の教育改革という文脈の中で登場し,物理学の聴衆を拡大した.教科書は教育用ツールでもあり,また知識を伝えるための手段でもあった.教科書を書くというのは単純なことではなく,物理学者ならば誰でも可能というわけではなかった.それには特有の訓練が必要だった.また,19世紀の教科書は,主として実験器具や機械に重点を置く傾向がある.

PSSCによるプロジェクトは,専門書(treatise)と教科書(textbook)の分離をもたらし,後者は限定された範囲のテーマを集中的に扱うものとなった.歴史や技術も落とされた.民主主義など西側の理想をも掲げたPSSCだったが,教師の側が慣れなかったことや,他の教科書との競合もあり,結局は成功しなかった.

最後に,最近の物理学史において教科書を扱っている論考には,Warwickのケンブリッジ数理物理学の伝統に関する研究や, Kaiserのファインマン・ダイアグラムに関する研究,Simonのガノーの教科書に関する研究,NavarroとBadinoの編集による量子論史の論集の検討などがある.いずれにしても,科学教育,教育史,そして出版史の観点を積極的に取り入れた分析が望まれる.

Written on December 11, 2018.