■若きスレーターと量子化学——Schweber 1990
S. S. Schweber, “The Young John Clarke Slater and the Development of Quantum Chemistry,” Historical Studies in the Physical and Biological Sciences, 20 (1990): 339–406.
アメリカの物理学者スレーターの経歴と,彼の量子化学研究,およびその方法論についての論文.スレーターはバプテストの家系に育ち,また父親はロチェスター大学で英文学を教えていた.スレーター自身は物理学を専攻したが,そこでブリッジマンの薫陶を受けた.彼の言では,ブリッジマンは理論ではなく,一連のツールを教えたからこそ優れた教師だったという.スレーターはこのような態度を受け継いだ.またスレーターは,ケンブリッジのファウラーと,コペンハーゲンのボーアのもとにも滞在したが,海外での研究,とくにボーアの方法論にはあまり納得がいかなかった.スレーターは哲学ぎらいで,実験結果と誤差の範囲で一致する計算結果を弾き出すのが理論であるというスタンスだった.便利な計算手法を開発するという点では,たしかにスレーターはスレーター行列式などの手法を提案している.簡便な方法で計算できるならその方がよく,わざわざ群論(群論病 Gruppenpest と呼ばれるほど流行っていた)などを持ち出す必要はない,というのがスレーターの言い分だ.一方で彼は,そのような意味での理論によって統一をもたらすというモチーフも有していた.彼によれば,シュレーディンガーの波動力学(この解釈としてはアンサンブル解釈が採用される)は,ハイトラーとロンドンの共有結合の理論を足がかりとして,やがて化学を包摂するだろう.このように,スレーターは還元主義的な見方を採っていたが,他方では,社会や人間に関する事柄を物理学で扱うのは不適切だろうとも述べており,この点に関しては説明が一貫しないようにも思われる.スレーターは,アメリカで量子化学という分野が確立するのに大きな役割を果たした.それは知的にのみならず,制度的にも,化学科と物理学科の橋渡しを試みるなどの貢献を果たしたのである.