■ファインマン・ダイアグラムの拡散 (3)——Kaiser 2005
David Kaiser, Drawing Theories Apart: The Dispersion of Feynman Diagrams in Postwar Physics (Chicago: The University of Chicago Press, 2005), Ch. 3.
ファインマン・ダイアグラムの拡散にもっとも貢献したのはダイソンである.しかし,出版された,ないし書かれたものだけでは十分ではなく,個人的な接触はつねに必要であった.
ここで効いてくるのは,戦後の米国におけるポスドクという制度である.既に戦前から,ロックフェラー財団などの援助により,科学研究の能力を涵養するためにポスドクという制度は存在していたが,1930年代前半にはかなり普及していた.これが戦後になると,政府予算によって大幅に拡大され,ポスドクになることは,物理学者であることの,ほとんど必要条件となっていく.ポスドクは数カ所を渡り歩くため,明文化される知識だけでなく,暗黙知や暗黙の技術までもが,ポスドクを通じて各地に伝えられるようになった.
ケンブリッジ大学で最初に数学を学び,その後物理学に転向したダイソンは,1947年9月,コモンウェルス・フェローシップからの資金を得てコーネル大学のベーテのもとにポスドクとしてやってきた.ベーテのラム・シフトに関する研究に関わるかたわら,ダイソンはファインマンと親交を結び,シュウィンガーとも話す機会を得た.両者の理論に習熟したダイソンは,実はそれらが等価であるという着想を得て論文を執筆したのだが,ここで,シュウィンガーもファインマンもまだ論文を公刊していなかったために,その基本的要素については自分で説明する必要があった.その結果,ダイソンの論文が(ファインマン自身よりも先に)ファインマン・ダイアグラムの使用法についての規則とハウツーを公に説明する最初の文献となった(1948年10月投稿,49年2月1日発行;ファインマン自身のダイアグラムに関する最初の論文は1949年9月発行).このような事情は,問題のダイアグラムが当初「ファインマン=ダイソン・ダイアグラム」と呼ばれていたという事実に反映されている.また,ダイソンによるファインマン・ダイアグラムの説明は,公刊された論文とは別に,プレプリントや講義ノートという形でも流布していた(ダイソンの第二論文).
このとき既に,1948年9月,ダイソンはベーテの推薦を得てプリンストン高等研究所(IAS)に移り,オッペンハイマーのもとでふたたびポスドクとなっていた.戦前のIASには功成り名を遂げた学者しかいなかったが,戦後,若手のポスドクを続々と迎え入れるようになっており,またオッペンハイマーが所長になると,物理のポスドクが集結するようになった.オッペンハイマーはIASを「知の宿 intellectual hotel」と呼び,若い物理学者が楽しんで研究できるように取り計らった.新任のポスドクが孤独を感じて「11月病」にかからないように,パイスなどがメンターの役割を果たした.
ダイソンが着任したときオッペンハイマーは出張中だったため,彼の執務室を大勢のポスドクが共用していた.これがポスドクどうしの交流を生んだ.ダイソンと同時期に着任した10人のポスドクはファインマン・ダイアグラムを習得するばかりかほとんど当然のものとみなし,IASから各地にもたらしたのだ.オッペンハイマーは当初ファインマン・ダイアグラムに批判的だったものの,ダイソンに説き伏せられた.コーネル大学ではファインマン,ダイソン,ベーテ,シュウェーバーらによって,ファインマン・ダイアグラムを用いた論文が多く書かれた.ただし,ハーヴァード大学にはシュウィンガーがいた.IASから来たカープラスの情報やダイソンの講義ノートなどで大学院生やポスドクのあいだでは知られてはいたものの,ファインマン・ダイアグラムはシュウィンガーの前では「邪教の図像 pagan picture」扱いであった.
1948年から54年までのあいだのファインマン・ダイアグラムの拡散には,論文や教科書といった文献だけでは不足であり,物理学者どうしの直接の対面が必要だった.オッペンハイマーの言を借りれば,「情報を送るために最善なのは,それを人の中に梱包することだ」ということだ.ファインマン・ダイアグラムとは文献では尽くされない道具であり,実践なのである.ここでラトゥールの「計算の中心 centers of calculation」が思い出されるが,それは適切ではない.ラトゥールは帝国主義的な支配を念頭に遠隔作用のメタファーを用いたが,ファインマン・ダイアグラムの場合,高等研究所での経験を積んだポスドクたちは自分たち自身で教育センターを作り出したのであり,これは遠隔作用よりも,場の理論の精神に則った,局所的な因果連鎖として理解されるべきである.
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