■歴史的対象としての科学教育——Olesko 2006
Kathryn M. Olesko, “Science Pedagogy as a Category of Historical Analysis,” Science & Education, 15 (2006): 863–880.
Science and Technology in the European Periphery というプロジェクトの成果として編まれた特集号への一寄稿.科学教育に対する歴史研究の重要性は,実は1930年代にはすでに認識されていた.その代表者がフレックであり,彼は経験,感覚,認知という歴史的分析の三つのカテゴリーと,出版など科学教育の文化的文脈を指摘していたのだった.フレックは教育の文化依存性を示し,共通の教育経験から生じる大きな思考の枠組み,すなわちthought collectiveを導入した.しかし,フレックの本が影響力を持つようになったのは1970年代になってからだった(クーンは,影響を自覚していなかったようだが,フレックの本を読んでことがある).ポラーニの暗黙知の議論(1958)も,科学教育のプロセスを神秘化することで成り立っていた——皮肉なことに,その後暗黙は科学の実践を理解するための中核的な概念となるのであるが.
1960年代に入ってようやく,科学と社会の関係を問う科学史研究が興隆してきた.教育の役割に関しては,クーン(1962),ラヴェッツ(1971),フーコー(1966,1975,1977)らの論考を挙げることができる.とくにフーコーはdisciplineの多義性を意図的に用いながら,専門分野が確立する過程における教育のはたらきを論じることに成功した.フーコーは「規範」の成立プロセスを軸に知識と社会的文脈の相互作用を指摘してみせたが,しかし理論物理学には社会的な影響を認めないといった態度を取っていた.
1970年代に入ると社会構成主義が流行するが,歴史研究においては,ハナウェイやパイエンソンの業績に言及しておくべきだ.前者はクーン的な教科書観を否定して,専門分野の確立に寄与するような媒体とみなした.後者はドイツの中等教育における数学教育の社会的・理念的重要性を指摘した.1980年代にも,教育と専門分野の確立,科学者共同体の形成,科学の社会的・文化的機能の関係を問う研究が続いた.ドイツの教育システムが事例としてよく調べられた.その一方で,20世紀が終わるころまでには,教育制度や専門分野の確立といった抽象的な次元から人間の活動やその地域的な文脈といった具体的なレベル(文化史)に関心が移っていった.
最近の科学教育に関する研究としては,ウォーリック(ケンブリッジ数学優等試験),カイザー(ファインマン・ダイアグラム)や,この特集号に収められている欧州周縁部における教科書についての研究などがある.
フレックがかつて指摘したように,教科書と出版は密接に結びついている.教科書は,これまで考えられてきたように19世紀ではなく,18世紀に成立したジャンルであるが,この点に関して,ハーバーマスの公共圏の概念が使える可能性がある.ハーバーマスによれば,公共圏は識字率の向上や出版文化の隆盛にともない18世紀に成立した.このことは,教科書の歴史に対していくらかの助けになるかもしれない.教科書は科学的言語の標準化を促進した.また,どのような内容の教科書が出版されるかは需要により大きく影響された(オスマン帝国では応用数学の教科書がよく出版されたが,それは商業的な需要があったからだった).
教科書の歴史を明らかにするためには,明文化されないさまざまな伝統に注意を払う必要があり,そこで機能している内的な価値体系を間接的に明らかにするためには理解 Verstehen のアプローチが考えられる.このようにして現代のさまざまな科学教育に関する問題にアプローチすることが可能になる.