■ドルーデの『光学』——Jordi 2013
Marta Jordi Taltavull, “Sorthing Things Out: Drude and the Foundations of Classical Optics,” Research and Pedagogy: A History of Quantum Physics Through its Textbooks, ed. M. Badino and J. Navarro (Berlin: Edition Open Access, 2013), Ch. 2.
量子論形成期における最前線の研究と教科書のあいだの相互作用を調べた論集の一論考.パウル・ドルーデ(1863-1906)の『光学』(Lehrbuch der Optik,初版1900年,二版1906年)の方法論や,その新しさ,そしてその影響を論ずる.ドルーデについてはすでに電磁気学の歴史の観点から行われたBuchwaldの研究があるが,ここでは『光学』をドルーデの光学の研究キャリアの中に位置付ける.
ドルーデはゲッティンゲン大学のフォークトのもとで学んだ(1887-1894).フォークトは電磁気学および光学に対する力学的アプローチを好んだが,ドルーデは現象論的な方法を採用し,マックスウェルの方程式系とそれに与える境界条件(このセットを彼は Erklärungssystem と呼んだ)を出発点として光学現象を論じた.ドルーデはエーテルを否定したわけではなく,理論的な要請からそれを受け入れているが,物質の構造について特殊な仮定を導入することには非常に慎重であった.このような実証主義的あるいは現象論的な傾向には,マッハの影響が見られる(1894年ライプツィヒ大学教授就任講演).
ところで,当時の電磁気学にとって重要な問題は,光の散乱であった.エーテルと物質の相互作用に起因すると思われるこの現象を,ドルーデは「イオン」を導入することによって説明した.これは完全に彼の方法論に適うわけではなかったが,『光学』の中でドルーデは現象を説明するためのもっとも簡潔かつ直観的なものであるとして正当化した.またイオンは光学とそれ以外の領域を結びつけるための道具としても機能した.
『光学』は電磁気学だけから出発して磁気光学まで含めて光学を展開したという点では初の教科書だった(放射の熱力学にも言及しているのが目を引く).その構成は,光学現象の数学的な記述から出発して,それぞれの項に物理的な解釈を与えるというもので,数学的な説明と物理的な説明は互いを映す鏡のようなものである.ここで現象の記述に含まれない物理学的な思弁を入れる余地はない(しかしイオンは例外である).また可能なかぎり単純な記述を与えるという目標をかかげたが,これは登場する物理的仮説の数を最低限に抑えるということだった.現象を紹介していく順番も,単純な数学的記述が可能なものから,磁気光学のような複雑なものへと進んでいく.このようにして,ドルーデはそれ以前の理論をすべて書き換えてしまい,新現象の説明を与えるばかりでなく,光学で問うべき新しい問題や新しいアプローチを与えた.第2版ではイオンの他に電子を採用して内容を修正した(これは金属電子論の影響である).
『光学』は出版直後から広く読まれ,モダンな本として高く評価された.一方で,量子論の形成にあたっては,『光学』(そしてフォークトの『磁気・電気光学』(1908))は「古典的な光学」の参照点として機能した.そしてその段階では,エーテルの本性や力学と電磁気学の統一の可能性は単純に消え去っていたし,電子仮説によって物質とエーテルを結びつけるのは当然視された.光学現象(散乱など)を観察する目的は物質の分析になった.書かれた時点では『光学』はモダンな本だったが,それは1910年代には(ボーアの原子模型との対比で,たとえばゾンマーフェルトによって)古典として参照されるようになった.
1892年から1900年まで,ドルーデは光学の諸概念を認識論的なレベルにおいても(正確さから単純さへ)存在論的なレベルにおいても(力学的なエーテルから電磁気学的なエーテルへ)再編成しようとした.これが,『光学』が登場当時にはモダンな本だった理由であり,そして後になって古典となった理由でもあった.ドルーデの理論を乗り越え,散乱の量子論的な解釈をはじめて提出したのはラーデンブルクであった(1921).