■アメリカと化学への熱力学の移入——Dais (2018, in press)
Photis Dais, “The double transfer of thermodynamics: From physics to chemistry and from Europe to America,” Studies in History and Philosophy of Science (2018, in press).
知識の移転に関する特集号の一論考.化学への熱力学の導入と,ヨーロッパからアメリカへの熱力学の導入がいかにして生じたかを検討する.19世紀,物理学と化学のあいだには深い溝があった.その当時主流を占めていた有機化学の研究プログラムからすれば,物理学で用いられる洗練された数学的テクニックは不要であった.1880年代から,イオン主義者(ファント・ホッフ,アレーニウス,オストヴァルト)の登場により状況が変化する.彼らは(有機)化学の諸概念を物理化学の枠内で説明することに意を用いた.他方で,物理学者たち(デュエム,プランク,ネルンストら)も化学的問題にアプローチして成果を得ていたが,化学的な含意の乏しさや数学的な困難のせいで,化学者の注意を引かなかった.
ライプツィヒ大学でオストヴァルトは多くのアメリカ人留学生を育てた.オストヴァルトが実際にしていたことは,内容からすれば,物理化学と言うよりも化学熱力学と称するほうが適切であろうが,留学生たちはアメリカに帰った後,自分たちの専門分野を物理化学と称した.それはオストヴァルトに従ったからでもあり,またアメリカの大学において,有機化学などと対抗する地位を自分たちのために確保するためでもあった.
アメリカ人たちはオストヴァルトから学んだことを,自分たちの関心に沿うかたちで活用して新しい問題に挑戦した.たとえばイオン主義者たちは,濃厚溶液と強電解質がうまく扱えないことを自覚しつつ,何もしなかった.これに対し,アメリカの化学者たちは,理想状態から離れた状態に熱力学を適用しようとした.その典型例がギルバート・ルイスである.ルイスはイオン主義者の伝統とギブス,ヘルムホルツ,デュエムらの物理学の伝統を踏まえてその中間の道を行き,濃厚溶液や強電解質がどれほど理想状態から離れているかを記述するためにフガシティー(逃散能;1900,1907)や活量(1907)といった概念を導入したのだった.ルイスはまた,論文では比較的長い導入を書いたが,それは彼の歴史的な意識を示すものでもあった.
物理学から化学へ,そしてヨーロッパからアメリカヘ,という熱力学の二重の移入には,確立したアイディアを化学者の需要のために活用するという共通の特性があった[この共通点を指摘するだけではこの二つの移転の過程を同時に扱うことの理由としては弱いと思われる.そしてこのような弱い結論しか出てこないのは,それが分野間の知識の移転と,地理的な知識の移転という二つの異なる次元の知識移転を同時に扱っているからだと思われる].この過程においては批判や抵抗,偏見もあったが,最終的には化学熱力学,そして物理化学という新しい分野を生み出すことになった.