■1925年までのシュレーディンガーの統計力学——Mehra and Rechenberg 1987

J. Mehra and H. Rechenberg, The Historical Development of Quantum Theory, Vol. 5 (New York: Springer, 1987), Ch. II.5.

量子論の歴史を包括的に記述したMehraとRechenbergの大著 The Historical Development of Quantum Theory の第5巻は,シュレーディンガーの波動力学に関するものである.この記事では,シュレーディンガーの統計力学についての論述をまとめる.シュレーディンガーは長期間にわたって特定の研究プログラムに関わることはなかったと言われるが,少なくとも1921年から1926年のあいだは,統計力学に関係する問題に一貫して取り組んでいた.

例えば同位体とギブスのパラドックスについての問題がある.ヴィーンでは1914年ごろから,ヘヴェシーとペネートが同位体の化学的分離可能性について否定的な見解を提出していた.シュレーディンガーは「同位体とギブスのパラドックス」の中で,異なる同位体の混合エネルギーは,同位体の原子量の差からは独立であると主張した(1921;これは原理的には既に1902年にギブスが論じていた状況であった).

固体の比熱の理論にもシュレーディンガーは取り組んだ.1921年にボルンとブローディは,単原子分子固体の比熱が非常な高温ではデュロン=プティの法則から外れることを(古典論では複雑になるとの理由で)量子論を用いて説明したが,シュレーディンガーは古典論の範囲でも,カノニカル・アンサンブルを用いることでボルンとブローディの結果が一気に得られることを主張した.また,量子論的なエネルギーの摂動項の計算を単純化した.しかし,この論文は,ボルンとブローディの成果を置き換えることを意図したものではない(1922).

ブリルワンの研究(1922)を受けて,光と音のあいだの熱平衡を研究した.ブリルワンは,古典的な波動によって,回折格子での音波による光の散乱を考察した.X線回折に対する温度の影響への示唆,またデバイの理論(レイリー卿とアインシュタインの結果と一致しないことが判明していた)に対して批判的な態度を取るという点が,シュレーディンガーにとって刺激となった.1924年,シュレーディンガーは,光量子をもとに,ブリルワンの得た結果を再導出した.このとき,光線と音線を量子論的に扱い,光波と音波のあいだの平衡を記述した.

シュレーディンガーは,1923年から1925年にかけて,かなりの量の統計力学に関するノートを書いた.未公刊だが,おそらく1924年までに「分子統計学」なる本の計画を練っており,その第1部は古典統計(二つの力学系のあいだの熱平衡,カノニカル分布の応用,力学的モデルの一般的な熱的性質,ブラウン運動,浸透圧など),第2部は量子統計(多重周期系,線形振動子系の平衡,固体,気体,気体の解離と気化,気体の縮退,化学定数,熱放射など)を扱う予定だった.同時期の他のノートには,気体分子どうしの相互作用,相対論的な効果を受けている粒子の統計的性質に対する磁場の影響,化学定数と気体の縮退をダーウィン=ファウラーの方法を用いて論ずるものもある.「量子統計講義」のノートには,エントロピーの定義,エントロピーの関数,エネルギー状態の知識,多自由度系,周期運動,比熱の一般論,気体といった見出しが見える.その他,「量子統計」と題されたノート,分子どうしの放射の交換を扱う統計,確率最大の状態と平均的な分布との同一視についてのノート,ゆらぎについてのノートなどがある.以上のノートの内容は,かなりの部分が当時出版された他の物理学者によるレビュー論文などと類似している.おそらくシュレーディンガーも執筆を依頼されたものの,何らかの理由により放棄されたのだろう.ただ,1925年夏までの比熱に関する諸研究をシュレーディンガーがまとめた記事は, Handbuch der Physik に掲載された(1926).

シュレーディンガーは1924年に,比熱の問題について2本の論文を出版した.Császár のプランクの放射則に関する議論が統計力学の原理と整合的ではないことを指摘した.また,水素分子の比熱に関する論文では,半整数の量子数を持つ水素分子の考察から,水素分子の回転エネルギーを計算,各量子状態に関して状態和を計算して分子の回転に由来する比熱を導いた.しかし,各状態への重率のつけ方などの問題があり,水素分子の比熱についての最終的な解決は量子力学の完成後に持ち越された.

「気体の縮退と自由行程」(1924)で展開された研究も重要である.この内容は「化学定数と気体の縮退II」なるノートでも展開され,特に同種粒子の計数法については別の論文を1925年に出版した.化学定数と気体の縮退という二つの問題が一緒に扱われるのは,ネルンストの熱定理に理由がある.ネルンストの1911年の講演は,分子の回転運動の量子化だけでなく,並進運動の量子化の試みをも刺激した.この結果が1911年から1919年にかけてのザックール,テトローデ,シュテルンらの化学定数の理論と,低温における理想気体の議論であった.これらの議論はライヒェが1921年に『量子論:その起源と発展』という本にまとめたが,その第5章の気体の量子論を扱った章では,第3節「気体の縮退」は気体分子の回転に関する節と化学定数に関する節の間に置かれている(並進運動の量子化はきわめて不十分な基礎しか与えられていないというのがライヒェの見解だった).シュレーディンガーはこれを踏まえ,気体の縮退における特性温度と特性距離の役割を強調した.それまでの研究を特性距離によって二つに分類し,どちらも受け入れがたいと批判し,新たに特性距離を分子の平均自由行程程度の大きさに取って特性温度を計算した.気体中の分子に対する量子化条件と,気体の状態の定義に関する議論を通じて,量子状態の数え上げを実行し,分配関数,特性温度,エントロピーを計算した.

ここでシュレーディンガーが計算したエントロピーの値は,プランクによるものと Nk \log (N!) だけ異なっており,これはプランクの熱力学的確率に直せば 1/N! の違いだった.プランクは黒体放射の理論以来,絶対エントロピー決定という目標もあり,同種粒子を扱うときには一貫して N! による割り算を用いていた(たとえば1916年の量子理想気体の理論)が,エーレンフェストとトルカルは,プランクの議論では分子数への依存性が不明瞭であると批判していた(1920).プランクはこれに対し,エーレンフェストらの方法では同じ状態が余分に数えられていると応答した.ヘルツフェルトとエンスコッグは異なるアプローチでN!による割り算を正当化しようとした(1922年〜23年).シュレーディンガーは「化学定数と気体の縮退II」で,プランクの位相空間の分割は,スターリングの公式を適用するには小さすぎると批判した.どちらかと言えば,シュレーディンガーはエーレンフェストらの見解に親和的だった.だから,1923年に,自分のエントロピー表現に N! に由来する項がないことを認識しても特に驚きはなかった.しかし,1925年には,プランクのものを含むエントロピーの定義の可能性を探っている.この転換の理由は,ボース=アインシュタイン凝縮の登場に求められる.1924年8月,ボースによる「プランクの法則と光量子仮説」が出版され,アインシュタインはその出版を仲介するだけでなく,単原子分子気体が低温では縮退を示すこと,そのエントロピーはプランクの表現によって与えられることを示した.シュレーディンガーはこれを見て種々のエントロピーの定義を比較検討し,プランクのN!が正しい根拠を持つことを認めるに至った.

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Written on January 31, 2018.