■第一次大戦中のシュレーディンガー——Mehra and Rechenberg 1987

J. Mehra and H. Rechenberg, The Historical Development of Quantum Theory, Vol. 5 (New York: Springer, 1987), Ch. I.5.

量子論の歴史を包括的に記述したMehraとRechenbergの大著 The Historical Development of Quantum Theory の第5巻は,シュレーディンガーの波動力学に関するものである.第一次大戦中のシュレーディンガーの研究を扱った部分を読んだ.統計物理学に関する部分を中心にまとめる.

1914年から1918年までに,シュレーディンガーは10本の論文を完成させた.これは,1915年7月から1917年夏まで彼が軍務に就いていたことからすれば,素晴らしい生産性だと言えるだろう.内容は,音響学,毛管現象,一般相対論,比熱などである.公刊されたもの以外にも,一般相対論や統計力学をはじめ,さまざまな理論的問題を論じたノートや書簡が残っている.

シュレーディンガーはシュヴァイドラーからゆらぎの理論への興味を受け継ぎ,1914年後半にはゆらぎと乳光についてのノートを完成させているが,これはレイリー卿,スモルコフスキー,アインシュタインの研究に連なるものだった.1913年,スモルコフスキーは,ゆらぎの問題を「熱力学的・エネルギー的世界観と原子論的・運動論的世界観の衝突」と表現したが,シュレーディンガーはこれに魅かれた.シュレーディンガーは,スモルコフスキーとボルツマンとの関係を論じた.ボルツマン的な自然観におけるミクロの原子的世界(多くの変数)とマクロの熱力学的世界(少数の変数)の関係を検討し,ゆらぎを含めても,なお統計力学は,そしてボルツマン的な自然観は正しいことを主張した.シュレーディンガーはスモルコフスキーから,自然法則は観測者の主観に依存してはならないこと,時間的な動力学的発展の重要性,理論的推論と実験的検証の緊密な関係を学んだ.

シュヴァイドラーは,放射性崩壊が統計的性質を持つことをゆらぎの性質によって示そうとしたが,批判も多く,放射性崩壊一般のゆらぎの存在についてはいまだ決着を見ていなかった.シュレーディンガーはその統計的理論と,実験的設定の理論を構築しようとした.ゆらぎについては既にアインシュタイン,フォッカー,プランクらの研究があったが,シュレーディンガーはこのうちフォッカー=プランクの関係式を一般化してこの問題に向かい,シュヴァイドラーの仮説が正しいことを示す実験的証明へとつながった.ヴィーンでは,この類の実験研究が盛んであり,シュレーディンガーはそのような環境下で研究をしていた.

シュレーディンガーは固体の比熱の問題を通じて量子論に関わるようになった.比熱の理論はボルツマン,アインシュタイン,ネルンスト,リンデマン,デバイ,ボルン,カルマンによって発展するが,この経過をシュレーディンガーは複数のレビュー論文にまとめた(1917〜19年).その記述は正確であり,古典物理学の発想とその破綻を徹底的にかつ批判的に分析していた.また,実験装置の記述や,理論値と実験値の比較にも意を払った.比熱の問題に注意を払った結果,シュレーディンガーは量子論の基礎的な側面に注意を向けることになり,黒体放射や量子仮説,ネルンストの熱定理を通じて量子論が必要であることを認めた.プランクの量子論と固体の運動論的描像を統一することがボルツマンの理想にかなう.

1917年頃から,ヴィーンではルートヴィヒ・フラム(Ludwig Flamm, 1885–1964)が新たな量子論の擁護者として登場したことに注意しておこう.彼は電子やスペクトル線について研究しつつ,その成果を比熱や放射の問題に適用して量子論を探ることを目指していた.スペクトル線の研究からは,いくつかの定常状態をもつ量子系については,状態和(分配関数)を構成できて,そこから熱的な性質を導くことができるが,フラムは調和振動子,デバイの弾性体,二原子分子の回転などの例を示した(1918).また,熱的な性質の量子論的な表現を得るための単純化された方法を考えた(1918).フラムはシュレーディンガーと同様,統計力学から出発して量子論を論じていた.それはボルツマンの遺産を継承することだった.

その他,一般相対論や哲学についての論文やノート・草稿が残っている.

関連記事

Written on January 30, 2018.