■もうひとりの物理学者:いくつかの観察——Jungnickel and McCormmach, The Second Physicist (2017)

C. Jungnickel and R. McCormmach, The Second Physicist: On the History of Theoretical Physics in Germany, Springer, c2017, Ch. 16.

19世紀のドイツ(語圏)における「理論物理学」の知的・制度的確立を扱ったJungnickelとMcCormmachの The Intellectual Mastery of Nature: Theoretical Physics from Ohm to Einstein, 2 vols. (Chicago: The University of Chicago Press, 1986) の改訂・縮約版の結論部に目を通す.これは,今回の改版にあたって書き下ろされた部分である.

19世紀の初頭,物理学は思弁的なドイツ自然哲学と距離を取りはじめた.そこで,数学でも実験物理学でもなかった理論物理学が,実のところ経験科学であることが示されなければならなかった.認識論にも造詣の深かったヘルムホルツは,理論物理学が数学を使用しているにもかかわらず経験科学であり,その点で実験物理学と同様であることを擁護したのだった.これは,研究上の分業が進んだことの帰結でもあった.19世紀中葉まで純粋な理論物理学者というのは存在しなかったが,やがて実験物理学と理論物理学の分業は進行し,大学における「もうひとりの物理学者」としてその存在が制度的にも認知されるようになる.これは部分的には実験室教育が導入され,実験物理学教授の負担が増大したためであり,数理物理学 mathematical physics の員外教授職がしばしば第二の物理学のポストとして創設された.19世紀末には,理論物理学の正教授が各大学に誕生しはじめた.

ヘルムホルツはまた,数学的知識と実験の技能を二つとも備えた「完全な物理学者」という理想をも抱いていた.大学がひとりの物理学者しか雇えないときには,このような物理学者がよいだろうというのだ.数学者では物理学を教えるには不適切であること,実験的技能だけでは物理学を教えるのには不十分であることをヘルムホルツは注意している.「完全な物理学者」という理想はその後も生き続けたが,1915年ごろには,理論と実験の双方をマスターすることは不可能であることが認識されていた.

理論物理学という分野が誕生したことは,一方ではフンボルト的な学問(Wissenschaft)の統一という理念に反するように見えたが,他方では理論物理学は,その性質上,物理学の統一を志向しているようでもあり,また,自然科学と数学との橋渡しをしているようにもみなされたため,ドイツの大学の理念には適していた.ドイツの大学で,理論物理学のポジションは重要であったし,また物理学者はキャリア形成の点からも生計の点からも多くの利益を得た.19世紀の終わりには,理論物理学の正教授は実験物理学の正教授を同程度の収入を得ていた.

なぜドイツの理論物理学は成功を収めたか.その解答は,研究自体の進展とともに,大学(研究が大学教授の職務となり,それが教育と結合したことで大量の研究者が供給された.大学は理論物理学の本拠ともなった),教育(転学の自由,ドイツの大学が「ドイツの科学者」と同一視され,同僚と連携を進めながら研究教育に携わり,さらにカントの影響下で哲学的でもあった),研究方法,文化的傾向に求められる.

この本では,理論物理学をいくらか人工的に実験物理学から切り離して議論したが,実験物理学は依然として重要である.理論と実験のあいだのバランスと,教育と研究のあいだのバランスから物理学は発展する.また,フランスおよび英国からの外国語文献の移入も見過ごせない.文化的には,理論物理学は「自然の知的征服」を意味する世界観とみなされた.

物理学は自然界の統一的な把握を目指すものである.しかし,「統一」ということには多くの意味があり,ヘルムホルツはそれを「宇宙の全体的な連関」として捉えていたが,プランクはより穏健に,力学と電気力学と熱力学の統一を目指した.理論物理学による統一には,さまざまな実験結果を統一的な観点にもとにもたらすという価値と,哲学および教育に由来する,知識の強固な基盤を求めるより一般的な文化的価値とがあった.それは「全体性」「統一」「完全性」といった理念を有していた.

連関あるいは統一を求めることは,個別的な研究のレベルでも動機として機能した.統一的な物理的世界像は,19世紀という時代の要請でもあったが,20世紀の物理学者にとってはそれはもはや動機にはならなかった.とはいえ,そのような法則の探究は,とりわけ諸力の統一という形では,止んだわけではない(大統一理論など).究極的な自然法則の発見は理論物理学の終焉を意味するのではないが,大きな目標・動機のひとつが失われ,それを別のもので代替することになるだろう.

分野としては,理論物理学はしばしば「応用数学」とみなされていた.こうした分類が研究内容に対して実質的な影響を及ぼすことはなかった.20世紀に入ると,理論物理学は独立した分野となっていた.しかし理論と実験とは相互に方法的に依存していたから,物理学の分業は意図的に限定されていた.理論家と実験家は同じ教育を受け,同じ学会に属し,同じ雑誌に出版した(理論家は,テクニカルなものは数学の雑誌に投稿する場合もあった).その後さまざまな理由により,理論物理学と実験物理学は最終的に分離し,そのことは大学におけるポジションに反映され,一人の物理学者が双方の領域をマスターすることは期待されなくなったが,物理学全体としては,理論と実験とが等しい役割を与えられていた.

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Written on September 9, 2017.