■Badino on Planck's theory of quantum ideal gases (2010)
M. Badino, “Das Verfolgen einer Idee: Plancks Theorie idealer Gase”, in D. Hoffmann ed., Max Planck und die moderne Physik (Springer, 2010), 135–148.
1900年から1920年代にかけてのプランクの量子理想気体の研究が,系の一般的な特徴に着目し,ミクロな構造に関わる特殊な仮定は避けるという戦略に従っていたことを主張する論考.理想気体のエントロピー表式はすでに古典統計力学においても見出されていたが,そこに現れる位相空間の体積要素 G をどのように決定するかが量子論においては問題になった.1912年,サッカーとテトローデによってそれぞれ独立に提案されたのは,$G = h^f$ ($h$はプランク定数,$f$は系の自由度)ということで,プランクにとってはこのことは,『熱輻射論講義』第二版(1912)で論じているように,確率および確率的なエントロピーの定義と密接に結びついていたが,その意味については十分に解明されなかった.特に,その分子数への依存性が何を意味しているのかが不明であった.この点については,相平衡についてのヴォルフスケール講演(1913)で,ローレンツなどから批判を浴びることになった.
プランクはそこで,もともとの戦略に立ち戻り,系の記述方法に関する一般的な考察を行った.具体的には,熱力学における特性関数 $\Psi$ を状態和によって表現するのだが,それは問題を系の状態の数え上げ,すなわち位相空間のある種の分割(ゾンマーフェルトの原子物理学はすでにこのテクニックを提供していた)へと落とし込むことだった.このような考察からプランクは,$N$個の異なる原子からなる系の$n$個の体積要素(あるいは量子状態)の体積について $G_n_ = (nh)^{3N} $ という関係と導かれ,また位相空間と状態空間を区別することから,物理的に意味のある領域の体積を $G_n = N! (nh)^{3N}$ と表現した.プランクは遅くとも1921年の『熱輻射論講義』第4版までにこの認識に到達している.
このようなプランクの戦略は,しかし,系の記述に関するものであって,系に含まれている対象自身に関するものではなった.したがって,ボース=アインシュタイン統計のような,区別できない粒子という考えには至らなかった.