■Navarro, A dedicated missionary (2009)

J. Navarro, “A dedicated missionary”. Charles Galton Darwin and the new quantum mechanics in Britain. Studies in History and Philosophy of Modern Physics 40 (2009): 316–326.

通常の量子論の歴史では,大陸における展開に重点が置かれる.それは相対論の歴史でも同様であったが,Warwickの研究に見られるように,近年は,ケンブリッジの教育的伝統に着目することで,大陸重視の見方が覆されつつある.この論文は,ケンブリッジで教育を受け,数学優等試験(トライポス)を通過し,英国における量子力学の普及に貢献した物理学者チャールズ・ゴルトン・ダーウィン(Charles Galton Darwin, 1887–1962;進化論のダーウィンの孫)の1920年代の業績に着目することで,英国における量子論の展開の一端を明らかにする.

ダーウィンは1909年にトライポスを5級で通過した.この世代のトライポス合格者は数学的テクニックを重視した.その物理教育ではラーモアの教科書が使われたため,彼らはエーテルにコミットし,電磁気学的な物質観を支持した.また,ダーウィンは教師ハーマンや,ジェイムズ・ジーンズの電磁気学からも影響を受けている.ダーウィンは卒業後,マンチェスターのラザフォードのもとで数理物理学講師を務め,放射線の散乱や回折の問題,原子構造論に従事するとともに,実験の技術も習得し,X線に関していくつかの実験的論文を発表する(1912年から1913年).また同地でボーアとも会ったが,ダーウィンのα線の吸収と散乱に関する考えはボーアの原子構造論に影響を与えた.その後ダーウィンは,数学を重視するラングラーとしての出自と,実験的・理論的アプローチとのあいだの緊張のなかで生きていく.

ダーウィンは第一次世界大戦中,戦時研究に従事したが,1919年にクライスト・カレッジのフェロー兼講師となって母校に戻る.そこでダーウィンは,量子論の「布教」を行うこととなった.しかしそこで言う量子論とは現象論的アプローチであって,プランクの第二理論やアインシュタインの光量子論は含んでいなかった.ダーウィンのこのような態度は,光の波動説への信頼と,動力学の法則(これ自体にはエネルギーの保存は含まれない)への信頼から成っていた.エーテルと物質のあいだの相互作用については,マックスウェルの電磁気学が補完される必要があったが,そこでは必ずしもエネルギーが保存されなければならないわけではなかった.ここから,もし必要であれば,ダーウィンにはエネルギーの非保存を受け入れる用意があった.プランクの第二理論にはエネルギーの保存を守るためのアドホックな仮説が多く含まれており,人工的であるとダーウィンは見ていた.このアイディアには,ボーアも部分的に賛同しており,これが1924年のBKS理論に結実することとなる.

1920年代には,ダーウィンはファウラーと共著で系におけるエネルギーの分配[黒体放射の問題など]に関する論文を発表した.ファウラーもケンジブリッジで純粋数学の教育を受け,後に量子論を学んで英国への量子論の導入に貢献した人物である.ファウラーとの成果は,系におけるエネルギーの分配を決めるときの計算テクニックであるが,彼らはそれが古典系にも量子系にも等しく有効であり,両者は対応原理によって関係づけられる,と主張している点が目を引く(この点は,ダーウィンが1925年から26年にかけて行ったゼーマン効果の研究でも強調されている).ダーウィンとファウラーは,1920年代の英国における量子論では代表的存在であり,ディラックの論文の査読を担当したのも彼らであった.

1925年にハイゼンベルクの行列力学が,1926年にシュレーディンガーの波動力学が登場すると,ダーウィンはこれら二つの理論について議論するため,1927年の春をコペンハーゲンで過ごした.この滞在の結果,ダーウィンは波動力学の「伝道師」となった(この点はボーアとは対照をなす).また,波動力学を支持したことは,彼の教育的背景にも適うことであった.行列力学を使用したパウリの論文は,ダーウィンにとっては,数学的には簡便かもしれないが,物理的な実在を捉えてはいないものであった.これに対して電子の波動力学は,光の場合との完全なアナロジーを与え,視覚化可能であるがゆえに望ましいのであった.また波動力学は,新しい力学の古典力学との連続性を保証するものでもあった.物理理論はプロセスの動力学でなければならない.1930年までのダーウィンの研究は,行列力学への応答と言っても差し支えない.ディラックの相対論的量子力学の登場にともない,ダーウィンは自分のプロジェクトを完遂すること諦めたようにも見えるが,それでも古典力学との連続性が放棄されるべきではないと考えつづけた.

一般向け講演を出版した1931年の『物質の新概念』では,ダーウィンは次のような見解を述べている.数学はたしかに必要である.しかしそれだけでは完全ではない.むしろそれは,真の物理学への足場である.ド・ブローイの原子は,ハミルトンによる光と粒子のアナロジーの自然な延長であり,それこそが「自然な」物理学を与える.量子力学では,波動関数が実在を表す.波動関数はいまのところ観測可能ではないが,それはかつての原子と同様である.根本的なものは視覚化可能でなければならない.これには実用的な理由のみならず,存在論的な理由があった.行列力学は足場とはなるが,真の理論ではない.

関連記事

Written on June 14, 2017.