■Gavroglu and Simões, Quantum chemistry in Britain (2002)
K. Gavroglu and A. Simões, Preparing the ground for quantum chemistry in Great Britain: The work of the physicist R. H. Fowler and the chemist N. V. Sidgwick, The British Journal for the History of Science 35 (2002): 187–212.
1920年代から30年代にかけて,物理学者ファウラーとシジウィックが,英国における量子化学の導入において果たした役割を論じた論文.ドイツでは量子力学に基づく第一原理的な方法が,米国ではプラグマティックで半経験的な手法が好まれていたが,英国ではこれらとは別に,応用数学,あるいは計算技術として量子化学を捉える傾向があった.ファウラーとシジウィックは,自身では量子化学にそれほどの貢献はしなかったものの,当時新興の量子力学を積極的に擁護(とくに波動力学の強力さを主張)して,英国における量子化学の形成に大きな影響を残した.それは多くの弟子を教育することや,教科書の執筆によっていた.
ファウラーの学生だったレナード・ジョーンズとハートリーは,ファウラーの還元主義的で計算を重視する精神を受け継いだ.ハートリーの結果は,1950年代後半の電子計算機による計算へと生かされることとなる.コウルゾンの博士論文は,量子化学における計算手続きを拡張したものであるが,レナード・ジョーンズやハートリーをはじめとするケンブリッジの応用数学・数理物理学の影響は明らかである.
シジウィック(Nevil Vincent Sidgwick, 1873–1952)も大きな影響を残した.彼はもともと古典学出身であったが,ライプツィヒのオストヴァルトのもとで物理化学を,テュービンゲンのペッヒマンのもとで有機化学を学んだ.業績としては有機反応の反応速度論や,可溶性と化学構造の関係に関する研究などが挙げられるが,1910年に出版した有機化学の教科書の中ではすでに物理化学の重要性を強調している.また,ボーアの原子構造論や,ルイスの原子価理論も習得し,1927年には『原子価の電子理論』を出版して,量子力学の説明力が強力であることを示した.だが,彼の「化学者は物理学者の言葉を使うべき」という主張は,有機化学者の反発をまねいた.
1930年代には,シジウィックは,ポーリングの共鳴理論によって,量子力学の言語を有機化学に持ち込めると考えた.共鳴概念をめぐっては混乱や異論があったものの,シジウィックは化学者むけに共鳴理論を単純化して広めた.また,サットンと協力して,オックスフォードの化学研究の伝統を「現代化」することにも成功した.そして,英国で量子化学を研究した科学者は,その多くがこの研究室との関わりを持った.そのうちの一人がコウルゾンであった.だが彼は1955年になると,化学と量子力学の関係についてはかつてのような還元主義ではなく,量子力学は化学現象に対する理解と意味を与えるものだという見解を採ったのだった.