■Gavroglu and Simões, Neither physics nor chemistry (2012)
K. Gavroglu and A. Simões, Neither physics nor chemistry: A history of quantum chemistry (The MIT Press, 2012).
量子化学の成立を論じた本から,英国の物理学者ファウラー(R. H. Fowler, 1889–1944)について論じた部分を読む.
ファウラーについては,第3章「応用数学による量子化学」で扱われる.ロンドンやハイトラーらの量子化学は第一原理に基づいたアプローチであり,ポーリングやマリケンらのアプローチがプラグマティックなものであるならば,英国にいたレナード・ジョーンズやハートリーらのアプローチは応用数学を拡張したものとみなせる.応用数学的なアプローチで重要なのは,ケンブリッジ流の数理物理学の伝統を受け継ぐファウラーである(コウルゾンはファウラーの弟子だったが,物理学に化学を還元するという方針にはやがて反対するようになる).
ファウラーは戦間期のケンブリッジを代表する数理物理学者であり,前期量子論から量子力学,そしてその応用である量子化学にわたる業績を残した.もともとは純粋数学出身だったが,第一次大戦に従軍して戦時研究に関わった経験から数理物理学へと転向したという.1921年には,量子の問題にフーリエの積分定理を適用し,翌年にはダーウィンと協同して統計力学についての論文を出版して分配関数を導入,高温域における気体の解離を論じた.これに関連した論考で,1923–24年のアダムズ賞を受賞している.1923年7月13日から14日に開かれたファラデー協会での講演にルイスが招かれて「原子価の電子論」という講演を行い,化学現象を理解するために物理学が必須であることを説いたが,ファウラーはこれに従い,同年にボーアの原子構造論を原子価の物理的性質を明らかにするために用いた.1926年,恒星の内部の圧力や温度を予測する新しい方法を提案して,恒星スペクトルを研究した(フェルミ=ディラック統計につながるアイディアも認められる).強電解質に関する業績もある.
ファウラーは新しい量子力学の価値を認め,積極的に推進し,英国に普及させようとした.ファウラーは,レナード・ジョーンズの指導教員であり,その分子間力のモデルの計算的利点を認めた.またハートリーの指導教員も務め,そのボーアの原子モデルに関する計算を,より定量的な研究への道を開くものとして賞賛した.
1931年の英国科学振興協会の化学部会の会合で,ファウラーは原子価理論の量子力学的解釈について講演した.彼によれば,原子価の理論は量子力学の一部であり,近い将来には完全な量子力学的計算が達成されるに違いないと述べた.この期待はハイゼンベルクによって批判された.