■Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 9.9--9.10
Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 9.9–9.10
9. 新しい宗教
ランゲは唯物論の迷信・宗教批判を評価していたが,それでも宗教を完全に廃止しようと主張したわけではない.むしろ,『唯物論史』には宗教に対する深い共感が見られる.ランゲによれば,ヨーロッパの近代史におけるさまざまな革命を駆動してきたのはまさに宗教的信念であり,また唯物論の破滅的な結果を防ぐためには新しい形態の宗教が必要である.道徳的な世界を作るために大衆を導くことができるのは宗教のみである.
しかし,1848年の革命後には,どのような形態の宗教が必要なのだろうか?これは当時広く議論された問題であったが[自由宗教運動のことを指すのか?],ランゲ自身の態度は曖昧だった.確かに組織化された宗教に対しては不信を抱いていたが,さりとて宗教が消滅したり国家へと吸収されることも欲さなかった.自然科学が発達した時代にあって,宗教は(啓示宗教であれ自然宗教であれ)危機に瀕している.そこで,宗教を廃止するか,宗教を完全に改革するかしなければならない.ランゲは後者を採用し,そこで宗教は芸術,特に詩によって表現されるべきであり,司祭の役割は詩人が担うべきだと考えた.宗教は信仰の形式から美的な経験へと変わるべきだというのである.このような宗教観は18世紀から19世紀にかけてのロマン主義運動に端を発すると考えられる.しかし,ランゲの場合,美的経験は認識とはならないことに注意しなければならない.
ランゲによる宗教の美的改革は,理念と現実性あるいは価値と存在の領域の区別に基づいている.宗教の本質は,われわれの究極的な価値を表す理念的世界を作り出すことにある.だから,宗教は存在の領域で自然科学と張り合うべきではない(どうせ負ける).宗教とは芸術を通じて価値と理念を作り出す試みであり,これは知識の領域の外側にあるから批判の対象とはならない.このような方針は実はカントを受け継いだものである.ランゲは,カントが実践理性によって自然宗教を救おうとしたことは批判したが,宗教それ自体の可能性を実践理性によって正当化しようとしたことは認めたのである.
とはいえ,ランゲはカントに完全に従っているわけではない.カントによる叡智界と現象界の区別は,ランゲにおいては価値と存在の区別となる.これにより,ランゲは叡智界などという神秘的なものを排除しようと試みた.またランゲは,カントが実践理性によって保証しようとした自然宗教も受け入れなかった.道徳に神への信仰は不要であり,実際人間は神への信仰抜きでもうまくやっている.
では,新しい価値や理念をどのような基準によって決めるべきだろうか?『唯物論史』ではランゲはこの問いに明確な回答を与えていない.道徳性は積極的な基準を与えられない.「趣味の問題」といった文言も見えるが,最終的には,美的な基準に訴えることを考えていたように思われる.ところが,ランゲは『唯物論史』初版の序文で,自身の宗教観に対して「美的によいものであれば迷信や偶像崇拝も受け入れてしまうのではないか」という想定質疑を行い,自分の見解が時代精神の正しさに依拠していると述べる.これは相対主義的な立場への後退である.
10. 詩としての哲学
『唯物論史』では,しかし,詩的な妥当性(poetic validity)が何を意味するのかが不明なまま残された.この仕事は,ランゲの遺作となった『シラー哲学詩への入門と注釈』(1897年刊)で論じられている.ランゲはシラーの詩作に哲学的内容を見出して高く評価しており,形而上学を放棄した後の将来の哲学が向かうべき方向がそこにあると考えていた.『入門と注釈』でランゲは,知性的領域を真理(科学)の領域と美(芸術)の領域に分け,それぞれは別個のものであるとした.それらを統一しようというのは自然なことであるが,しかし,要求される基準がまったく違う以上,その望みはかなえられることはない.カントによれば知性的領域は真善美の三つに分かれるが,ランゲは道徳の領域を美のそれに従属させた.これは彼がヘルバルト哲学から出発したことを考えれば自然だろう.
ランゲのこのような方針は,カントの実践哲学をどう考えるかに影響を及ぼした.まず,ランゲはカントによる形而上学的観念の実践的正当化をかなりそのまま受け継いでいるように見えるが,カントが道徳に訴えるところでランゲは美的な要素に訴える.ランゲにとって,実践理性から論理的演繹を行うなどというのは混乱したことで,形而上学的観念の背後にあるのは美的必然性なのである.だから,形而上学的観念の正当化を与えてくれるのはその道徳性ではなく,その美,あるいは崇高である.
さてこうなると,ランゲの中には哲学の立場がなくなるように思われる.哲学は科学でも芸術でもないし,形而上学は知識の外側の詩の領域に置かれたからだ.しかし,哲学すべてが芸術となるのではない.経験的探究の方法を扱う批判的哲学は科学の一種となり,積極的な哲学[?positive philosophy]は伝統的な形而上学を担う芸術あるいは詩の一種となる.後者は世界観を含むが,それはもはや普遍的な妥当性を要求しえない(ランゲは歴史主義の背景のためか,普遍的美的妥当性という可能性は考えなかったようだ).批判的哲学とは経験科学の一種なのだから,端的に言えば,ランゲは哲学を経験科学と詩に解消してしまったということになる.これに対して,伝統的な哲学観を維持しようとしたのがコーエンとヴィンデルバントであった.