■Beiser, The genesis of Neo-Kantianism, Ch. 9.1--9.2

Frederick C. Beiser, The Genesis of Neo-Kantianism 1796–1880 (Oxford: Oxford University Press, 2014), Ch. 9.1–9.2

1. ランゲの遺産

われわれはクーノ・フィッシャー,エドゥアルト・ツェラー,ユルゲン・ボナ・マイヤー,オットー・リープマンと見てきた.1860年代の新カント派運動で見ておくべき最後の人物はフリードリヒ・アルバート・ランゲ(1828–1875)である.彼の『唯物論史』(初版1866年)は他の4人を圧倒する影響力を及ぼした.

ランゲの立場は複雑である.彼はひとまずカントの生理学的・心理学的解釈の伝統に乗ることは確かだが,それがすべてではない.というのも,ランゲは,カントによる叡智界と現象界の区別を理念と現実性,規範と事実,価値と存在の二分法へと改鋳したからだ.こうした点でランゲはのちの西南学派の祖とも言えるし,事実弟子のコーエンはその意義を強調しているが,ランゲとコーエンのあいだには重要な違いがある.ランゲの唯名論と経験論,カントの心理学的解釈,宗教の美学的基礎,プラトン主義批判などはコーエンの哲学とは明らかに衝突するのだ.

他方,ランゲは新カント派社会主義の創始者と見られることがある.たしかにランゲの政治的見解は組合を重視し,歴史的必然性を批判するものであるが,彼は自身の政治的見解と新カント派としての哲学的見解を結びつけているわけではないし,またカント的な道徳原理に訴えることもしていない.『労働者問題』(第4版1879年)や『社会問題についてのミルの見解』(1866年)ではむしろ,政治経済や倫理の領域でカントの道徳哲学を目安とすることを拒否し,スミスの共感論を採用しているのである.

以下では『唯物論史』をメインに,ランゲの思考の歩みをたどっていく.

2. 初期ランゲと野生の哲学

ランゲは1828年9月28日,ゾーリンゲン近くのヴァルトで生まれた.祖父は荷馬車屋だったが父親ヨハン・ペーターは牧師であり,神学教授となってチューリヒでは悪名高きシュトラウスの後任となった(1841年).ランゲは当地のギムナジウムに通い,そこではじめて哲学に触れた.ヘーゲルの『精神現象学』である.1847年に大学に進んで神学と文献学を学び,ヘルバルト哲学を学んだ.それが後にカント哲学へと転向することになる.

チューリヒの大学で1年学んだ後,ランゲはボンに移り,1848年から1851年までそこで学んだ.彼は教員になるべく「パンのための学問」として文献学を修め,さらに数学,物理学,古典古代史,そして英語を学んだ.ブランディスによる哲学史の講義にも出席はしたが,最初から厳格な方法に基づくよりは,自身の「野生の哲学」をある程度発展させておきたいと述べている.「野生の哲学」の内容は,ランゲの旧友にして牧師であったカンブリへの書簡(1851年)からうかがえる.野生の哲学はむろん未熟なものであるが,その機軸は歴史主義,相対主義,自然主義であり,これらの要素は後の時代においても保持されることとなった.

その後ランゲは,教員資格を取得してギムナジウムで教えはじめたものの,ふたたび学究の道へと戻り,1855年にヘルバルトの心理学に関する論文でボン大学から大学教授資格を取得した.1858年まで同大学で私講師として心理学,道徳統計,論理学,教育学を教えたが,この時代にランゲははじめて哲学に集中的に取り組んだ.その動機は,教育学の基礎であるヘルバルトの心理学は破綻しており,それゆえカントの批判哲学を研究しなければならないと考えたことにあった.1858年9月27日付けのカンブリへの手紙には,「私は形而上学はすべて一種の狂気であって,その正当化は美的あるい主観的にしかなされないと思います.私の論理学は確率計算であり,倫理学は道徳統計であり,心理学は完全に生理学に基づいています」という一文があり,彼の実証主義的な傾向と唯物論への接近をよく示している.しかし,それがランゲのすべてではない.というのは,ランゲは同時に詩も等しく重視し,それが「理念の観点」であると述べるからである.ランゲによれば,人間には合理的な側面も詩的な側面もあるのである.

同じ手紙でランゲは,どのようにカントに接近したかを述べており,それによればランゲはカントの形而上学批判を受け入れ,それをヘーゲルなどの観念論に対する解毒剤とみなしているようだ.ランゲはカントの実践哲学については否定的であるが,実践理性によって道徳や宗教を正当化する試み自体は出発点として共有する.

1855年からボンでランゲが論理学について行った講義は,後にコーエンの編集によって『論理学研究』として死後出版された(1877年).この講義でのランゲの関心は,数学と同等に確実で,かつ認識論的な問題からは独立な形式論理学の可能性を示すことにあった.ここでいう論理学はアリストテレスの三段論法的なもので,文法や形而上学の問題からは切り離されている.ランゲによれば,論理学が文法や形而上学とは関わりなく妥当なのは,それが直観性を有しているからであり,直観性の基礎はアプリオリな空間直観にある.われわれが推論するときには包含関係などの空間的な述語を用いており,そこではアプリオリな空間直観が基本的な役割を果たしているのだ.

ところでランゲは,カントの論理学についての見解とは二つの点で対立する.ひとつは,ランゲは,すべての必然的命題は総合的であり,それぞれの項はアプリオリな直観により結びつけられると考えたことである.カントは論理的真理と数学的真理のあいだに差異を認めていたが,ランゲはそのような違いを認めない.もうひとつは理性と感性の区別に関するもので,ランゲによれば,すべての直観は思惟を要し,すべての思惟は直観を要するという.

Written on February 2, 2017.